サッカー移籍報道の第一人者、ファブリツィオ・ロマーノはどのようにして名声を高めたか…“Here We Go!”誕生のきっかけは

2022-09-05
読了時間 約2分
Getty Images

世界中のサッカークラブで移籍市場が活発になっている。どのチームも新たな選手を加え、あるいは放出し、戦力向上を図っている。

サッカー移籍情報の「教祖」とも呼ばれるファブリツィオ・ロマーノ氏にとって、まさに輝くときがやってきた。

29歳のロマーノ氏は世界中のビッグクラブを巻き込んだ移籍情報や噂を専門に扱い、「ジャーナリズム帝国」を築き上げた。ツイッターやYouTubeなどのソーシャルメディアで独自のコンテンツを発表し続けている。そしてCBSスポーツやザ・ガーディアンといった大手メディアにも移籍市場の専門家として登場する。サッカー界で最大の移籍ニュースをいくつかすっぱ抜いたことで、ロマーノ氏のブランドは確立された。

スポーティングニュースではロマーノ氏にインタビューを行い、サッカー界のジャーナリストとして世界的な名声を得るまでの道のりを聞いた。

ファブリツィオ・ロマーノとは何者か

イタリア・ナポリで生まれ、ミラノ大学で学んだロマーノ氏は、ジャーナリズムの世界に足を踏み入れていった。

現在のロマーノ氏は移籍市場のニュースでは世界的な存在である。YouTubeのチャンネル登録者は112万人、ツイッターのフォロワーは970万人、インスタグラムのフォロワーは890万人、を数える。ロマーノ氏が「送信」ボタンを押すたび、世界中が耳を傾けるのだ。

「私は早い時期からジャーナリストになりたいと思っていました。サッカーはずっと大好きだったのですが、プロ選手になるほどの才能はありませんでした。だからジャーナリズムを選んだのです。そして16歳のときに小さなウェブサイトで経験したことが、それからの道を切り開いてくれました」とロマーノ氏はスポーティングニュースに語った。

「私がサッカー好きなのは父親譲りです。父のルイージは熱烈なサッカーファンで、いつも私をサッカーとふれ合わせてくれました」

ロマーノ氏はサッカー界で世界的に有名な存在になった今でも、ひとりの人間として、自分らしさを大切にしている。専門家であり有名人であることのプレッシャーがロマーノ氏の仕事や人生を変えることはない。

「正直に言って、私はプレッシャーを感じないのです。ソーシャルメディアのおかげで、私が発するすべての言葉がサッカー界に影響を及ぼすことは知っています。ですが、それと同時に、私はいつも謙虚であろうと心がけているのです。私は単なるひとりのジャーナリストに過ぎませんし、サッカーは単なるひとつのゲームです。権力とプレッシャーを好む人は私よりもっと厳しい仕事をしているでしょう。移籍市場のジャーナリストであることは、ストレスはかかりますし、困難でもあるのですが、それでも素晴らしい仕事です。私の世界は人々が想像するより単純だと思います。私は本当に普通の人間なのです」と、ロマーノ氏は語った。

"Here We Go!"誕生のきっかけ

ロマーノ氏のレポートで代名詞のようになったキャッチフレーズは"Here we go!"である。「さあ、行くよ」と大勢に呼び掛けるときなどによく使われる言葉だ。ロマーノ氏はこの言葉を移籍契約が完了したことを示すときに使用する。しかし、初めに使われ始めた頃に比べると、単なる掛け声以外の意味を持つようになった。

元々ロマーノ氏はある移籍情報が更新されたことを伝えるために、ほんの軽い気持ちでこの言葉を使い始めたそうだ。しかし、それがトレードマークに成長するまでにはさほどの時間はかからなかった。

「数年前にマンチェスター・ユナイテッドの移籍情報をレポートして、1か月後にそのニュースを更新したときに”Here we go!”と書きました。その移籍契約がついに完了したことを伝えたかったのです。その日以来、ツイッターで多くのフォロワーが質問を投げかけてくるようになりました。アーセナル、バルセロナ、リヴァプールの話についても”Here we go!”と言ってよいですか、という風にです」と、ロマーノ氏はスポーティングニュースに言った。

「その時から、これは良いアイデアであることに気がつき、これからも続けていきたいと思っています。なぜなら、これは私が戦略的に考えたものでもなく、広告代理店の提案でもなく、フォロワーたちから自然に生まれたものだからです」

この言葉はロマーノ氏の署名欄のようになった。高い知名度と分かりやすいキャッチフレーズによって、確かな移籍情報を探すクラブがこのジャーナリストを見つけることができるのだ。

Scroll to Continue with Content

ここまでのキャリアで最も不思議だった瞬間とはどのようなものだったかを問われたロマーノ氏は、レンツォ・インシーニェがトロントFCへ移籍したときの発表に加わったときだと述べた。「私は自分がここまで来られるとは思ってもいませんでした。私はナポリの出身で、インシーニェと言えばその都市の伝説的な存在なのです。11年前、私は学校にいて、インシーニェをアイドルだと言う友達がいました。そして今、私は彼の移籍をビデオで発表する立場にいるのです。そのときにこう思いました。これはすごいことだと。しかし、その5分後には次のニュースが待っていました。移籍市場を追いかける人には、立ち止まっている時間はないのです」

キャリアを変えたイカルディのニュース

ファブリツィオ・ロマーノ氏はイタリアのサッカー界に初めて衝撃を与えたとき、その対象はイタリア人選手ではなかった。

2022年1月にニューヨーク・タイムズ紙からインタビューを受けたロマーノ氏は、最初に手掛けた大きな移籍情報は、マウロ・イカルディがサンプドリアからインテルに移籍したときのことだと答えた。

ロマーノ氏は2011年に18歳だったイカルディがバルセロナ・アカデミーからサンプドリアに移ったときに、イカルディの代理人と初めて接触した。それ以来、連絡を取り続けていたというわけだ。ロマーノ氏がこの移籍のニュースを報じたことは、イカルディの契約成立を助けた。そして代理人はロマーノ氏に感謝を忘れなかったのである。

2年後にイカルディがインテル・ミラノに移籍したときが、ロマーノ氏にとって初めての大きなスクープだった。「私が彼のキャリアの最初で助けたと、彼は言ってくれました。そして今度は彼が私を助けてくれたのです」とロマーノ氏はニューヨーク・タイムズ紙に言った。この移籍契約が発表される6か月も前のことであり、ロマーノ氏はこれが彼のキャリアの大転換となったと明かした。

ロマーノ氏のキャリアで次に語られるべきニュースは、昨年ジネディーヌ・ジダンがレアル・マドリードを去ったときのことだ。「ジダンがレアル・マドリードを去る準備をしていると報じたとき、私は友達に向かって、秘かに『たった今、レアル・マドリード監督のジダンについてスクープをものにしたぞ。あのサッカー界のレジェンドだぞ。信じられるか』と言っている気分でした」

ロマーノ氏のキャリアに影響を与えた大物

ジャーナリズムの世界でロマーノ氏のレベルにまで到達するには、周囲からの助けが必ず必要である。

キャリアで最も強い影響を受けた人物について問われたとき、ロマーノ氏は迷わずひとりの名前を挙げた。

「それは間違いなくジャンルカ・ディ・マルツィオです。この偉大なジャーナリストからすべてを学びました」

ロマーノ氏はかつてキャリアの初期に『スカイ・イタリア』でディ・マルツィオ氏の下で働いていた。イタリアのサッカークラブに関する移籍情報の第一人者だ。

ロマーノ氏が挙げた人物は他にもいる。「私の情報源、代理人、スポーツ・ディレクターたちとの関係はとても重要です。ただ、彼らの名前を明らかにすることはできません。彼らが私を信頼してくれることで、私のキャリアは大きく変わりました。そして私の家族も重要なカギを握っています。母のスザンナはいつも私が自由に夢を追いかけることを許してくれています。そこには大きなリスクがあるにもかかわらずです」

ロマーノ氏は多くのことを周囲の人々から学んだ。そのひとつは、スピードは必ずしも移籍情報の最重要な要素ではないということだ。実際のところ、スピードはかえってジャーナリストにとって最大の敵になることもある。

「ニュースを報じる前に待たなくてはいけないことも時々あります。待つことはつらいものです。なぜなら、他のジャーナリストに出し抜かれてしまう恐れがあるからです。そうなると、すべてが台無しです。ニュースの正確性は変化しなくても、その価値は変わります。それでも、情報源を尊重することがカギなのです」

原文: Who is Fabrizio Romano? Twitter transfer news guru builds journalism empire with three words: "Here We Go!"
翻訳:角谷剛