21世紀のサッカー界で伝説となった話題の1つに、ピッチ外で起こったものがある。
史上最高の選手と謳われるリオネル・メッシのバルセロナにおける比類なきキャリアは、紙ナプキンにサインされた契約から始まった。
その紙ナプキンがボナムズ(イギリス発の国際オークション会社)上でオークションにかけられ、驚くべき金額で落札されたようだ。
メッシの記念品は果たしていくらで取引されたのか?
リオネル・メッシの紙ナプキン契約書、オークション販売価格
サッカーの歴史の一部ともいえるこの紙ナプキンは、決して安くはない。ボナムズは37万9000ドル(約5685万円/1ドル=150円換算、以下同)を最初の値段として設定した。しかし最終的には、96万5000ドル(約1億4475万円)で落札されたようだ。この値段の数パーセントはオークションの手数料として差し引かれるものの、それでも桁違いな数字である。
「これは今まで扱った中で最も面白い商品の1つだ。ただの紙ナプキンではあるが、リオネル・メッシのキャリアの出発点にあった有名なものである」
競売を担当したボナムズ・ニューヨークの美術書・写本部門の責任者イアン・エーリング氏は声明の中でこう述べた。
「メッシの人生を変え、バルセロナの未来を変えた。さらに世界中の何十億人ものファンに、サッカーの最も輝かしい瞬間を魅せるきっかけとなったものだ」
リオネル・メッシの紙ナプキン契約書とは?
その紙ナプキンには、2000年12月14日の日付に加え、バルセロナの移籍アドバイザーであるジョゼップ・ミンゲラ氏、アルゼンチン人の代理人オラシオ・ガッジョーリ氏、バルセロナのスポーツディレクターであるカルレス・レシャック氏のサインが記されている。
「2000年12月14日、バルセロナにて、ミンゲラ氏とオラシオ氏の立ち合いのもと、FCバルセロナのスポーツディレクターであるカルレス・レシャックは、自らの責任において、反対意見があろうとも、合意した金額を守ることを条件に、リオネル・メッシとの契約に合意する」
メッシは13歳の時にバルセロナのトライアルに参加し、そこでレシャック氏の目に留まった。
レシャック氏は、「今でも忘れられないのは、通常3~4分で終わるピッチ周りのウォーキングに15分もかかったことだ。ボールの扱い方や動作、ドリブルや視野の広さなど、彼のサッカーを見るのに夢中になっていたよ」とその時のことを思い返す。
「誰に言われるまでもなく彼と契約すべきだと分かった。ピッチ上でいちばん小さかったにもかかわらず、何かとても変わったものを感じたんだ。ベンチに戻り、そこにいた2人のコーチに『彼と契約しろ。いちいち考えなくていい。もし誰かに聞かれたら、私の決断だと伝えてくれ』と指示を出した」
しかしこの契約は長引き、メッシの父親であるホルヘ氏の気持ちが冷めてきていることをレシャック氏は察知した。他のクラブに先を越されるかもしれないという懸念が、この伝説の契約に繋がる。
「ホルヘ氏はバルセロナが契約を先延ばしにしていると思っていた。その時の状況は詳しく把握していないが、私がホルヘ氏と会った時、彼の中で明確に決まっているものは何もなかった。それに彼はバルセロナを信用しておらず、絶望しているようだったよ。だからある晩、ポンペヤのテニスクラブでミンゲラ氏とオラシオ氏と会い、ホルヘ氏と電話で話をした。彼は、『もしこれがすぐに解決しなければ、我々はここを去る。ブエノスアイレスに戻らなければいけないし、ここで何かが起こるとは思えない』と言ってきた。全てを決断したのはその時だったよ」
レシャック氏はこう付け加える。「なぜ紙ナプキンかって? それしか手元になかったからだ。ホルヘ氏を落ち着かせる唯一の方法は、何かにサインして彼に証拠を与えることだと思った。だからウェイターに紙ナプキンを頼んだんだ」
原文:Lionel Messi napkin auction sale price: Famous Barcelona "contract" sells for $965,000
翻訳:山下晴輝(スポーティングニュース日本版)