アメリカの億万長者トッド・ベーリー氏と合同投資家グループが正式にチェルシーFCの買収手続を5月に完了した。買収金額は52.5億ドル(約7,553億円)で、世界中のプロスポーツの歴史において最高の額となった。
チェルシーFCのオーナー交代にまつわる混乱は昨年のプレミアリーグ終盤に数週間に渡って議論と憶測を生み出した。最終的にベーリー氏とクリアレイク・キャピタル・グループによる買収契約が成立したのは5月30日である。
買収グループはプレミアリーグと英国政府からの承認を待たなくてはいけなかった。前オーナーで、ロシアの有力者でもあるロマン・アブラモビッチ氏への経済制裁のために、クラブ売却の手続きが凍結されたからである。
その経済制裁措置はロシアのウクライナ侵攻を受けてアブラモビッチ氏がクラブの売却を決めてから数日後に発令された。英国政府はアブラモビッチ氏がロシアのウラジミール・プーチン大統領と深い関係にあるとみなし、資産を凍結し、チェルシーFCの経営は売却が完了するまで制限付きのものとした。
チェルシーFCはこの混乱のなかで健闘したと言ってよいだろう。FIFAクラブワールドカップとUEFA スーパーカップを制した後に2つの国内カップでも決勝戦に進出した。そしてプレミアリーグの2021-22シーズンは3位で終了した。
オーナー交代劇は混乱を極めたが、ようやくそれも収束した。ベーリー氏の時代が始まったことによって、クラブには安定した状態が戻ってくることが期待された。
しかし、チェルシーFCはプレミアリーグとUEFA チャンピオンズリーグの2022-23シーズン序盤で振るわず、トーマス・トゥヘル氏が監督の座から解任されるというニュースが飛び込んできた。どうやら、ベーリー氏は長期的戦略に取り組もうとしているようだ。
チェルシーFCの現オーナー
チェルシーFCを所有するグループを率いるベーリー氏はMLBロサンゼルス・ドジャースの共同オーナーでもある。その背後には投資会社であるクリアレイク・キャピタルがある。他にオーナーグループに参加しているパートナーにはスイスの億万長者ハンスヨーグ・ヴィス氏やドジャースでベーリー氏と共同オーナーであるマーク・ウォルター氏らがいる。
現在48歳のベーリー氏はアメリカ人のビジネスマンであり、経済誌『フォーブス』によると、資産は45億ドル(約6,473億円)ということだ。
ベーリー氏はスポーツ界に広く関わっている。MLBロサンゼルス・ドジャースのオーナーグループである『グッゲンハイム・ベースボール・マネジメント』のメンバーであることが最も有名だ。球団に対するベーリー氏の個人的な持ち分は20%だと報じられている。
ベーリー氏は2013年に『タイム・ワーナー・ケーブル』とドジャース間の契約をまとめ上げ、ドジャースの放映権を独占する『SportsNet LA』を誕生させたことで知られている。
ベーリー氏は他にもNBAロサンゼルス・レイカーズとロサンゼルス・スパークスの共同オーナーでもある。マーク・ウォルター氏とともに、両チーム合わせて27%の持ち分を所有している。
トッド・ベーリー氏がチェルシーFC買収に支払った金額
チェルシーFCが5月6日に発表した声明によると、ベーリー氏のグループがクラブ買収に際して支払った金額は52.5億ドル(約7,553億円)で、これはプロスポーツの歴史において最高金額となった。
そのうちの31億ドル(約4,400億円)はアブラモビッチ氏が所有していたクラブの株式を譲り受けるために使われ、それを除いた分がクラブへの投資に使われた。
5月24日にスカイ・スポーツが報じたところによれば、アブラモビッチ氏との契約条項はベーリー氏と投資者たちは今後10年間クラブの株式を売却したり、手数料や配当金を徴収したりすることを禁じている。さらにベーリー氏らがクラブに課すことができる負債金額のレベルにも制限がある。
ロマン・アブラモビッチ氏がチェルシーFCを売却した理由
ロシアのウクライナ侵攻が開始されて以来、ロシアの有力者であるアブラモビッチ氏に対する政府の監視は強化された。チェルシーFCへの最善の選択肢として、アブラモビッチ氏は3月2日にクラブを売却することを決めた。
そして、3月10日には英国政府はアブラモビッチ氏への経済制裁を発表し、チェルシーFCを含む氏の資産を凍結した。プレミアリーグ側は、クラブがアブラモビッチ氏に所有されている限り、新たな利益を得ることができなくなり、さらに将来発生する利益は凍結されることになった。
これはクラブが新たに観戦チケットや関連商品を販売できなくなることを意味した。しかし、その時点で成立していた契約は有効とされ、そのなかにはシーズンチケットや3月10日以前に販売されていた観戦チケットが含まれていた。
英国政府はチェルシーFCに経済制裁下で運営を続けるための特別なスポーツ経営ライセンスを与えたが、それには数多くの制限が課せられていた。
制限には移籍の禁止も含まれていたため、クラブは選手を移籍させることができなくなった。さらに遠征費用は1試合につき2万6千ドル(約370万円)が上限とされた。
ロマン・アブラモビッチ氏はチェルシーFC売却から利益を得たか
英国政府がアブラモビッチ氏に科した経済制裁は氏が英国内に所有するすべての資産売却で法的に利益を得ることを禁じた。チェルシーFCもそれに含まれる。
アブラモビッチ氏は発生する売却益を慈善団体に寄付することを既に表明していた。
チェルシーFCはアブラモビッチ氏の声明を認め、31億ドル(約4,400億円)が英国内の凍結された銀行口座に入金され、その100%が慈善団体に寄付されることを確認した。
アブラモビッチ氏と英国政府の間でこれらの資金の行き先について交渉があったと報じられており、その最終的な結果は明らかにされていない。英国政府がクラブ売却を承認するためには、これらの問題が解決する必要があった。
ロマン・アブラモビッチ氏とは何者か
アブラモビッチ氏は1966年にサラトフで生まれた。ロシアの南西に位置する港湾都市である。億万長者であり、チェルシーFCの前オーナーであることで最も有名だ。
アブラモビッチ氏は様々な投資によってその富を築いた。利益のためにビジネスと資産を売り買いする投資センスで知られている。
55歳のアブラモビッチ氏はこれまでのキャリアで政財界に強い人脈を築いてきた。ロシアのボリス・エリツィン前大統領ともウラジーミル・プーチン現大統領とも親しい友人関係にあることは有名だ。もっとも、氏の側近はプーチン氏との関係を過去に否定している。
エリツィン氏が大統領だった頃には、アブラモビッチ氏はその要請によってクレムリン内のアパートメントに住んでいた。リチャード・サクワ氏の著作『The Crisis of Russian Democracy(ロシア民主主義の危機)』(2019)によると、エリツィン氏にプーチン氏を後継者として最初に推薦したのはアブラモビッチ氏だったということだ。
フォーブス誌が2019年に報じたところでは、アブラモビッチ氏の総資産はおよそ129億ドル(約1兆8,400億円)であり、ロシアで11番目の金持ちである。
アブラモビッチ氏は長年に渡り、多くのトラブルに見舞われてきた。2008年にはロシア国内の石油とアルミニウム資産を保全するための見返りとして、数千億円単位の政治的贈賄を行ったこと裁判所の文書で明らかになったとタイムズ紙に報じられた。
また、アブラモビッチ氏はロシアの独占禁止省から何度か調査を受けている。さらに氏が所有する鉄鋼、炭鉱、天然ガスなどのビジネスは環境保護団体からの批判にさらされている。
ロマン・アブラモビッチ氏がチェルシーFCを買収した時期
ロマン・アブラモビッチ氏が初めてチェルシーFCを買収したのは2003年6月のことである。英国内の持ち株会社『フォードスタム・リミテッド』の100%所有権を通して、前所有者のケン・ベイツ氏からクラブを買い取った。ベイツ氏は後にリーズ・ユナイテッドFCを買収する。
その後のチェルシーFCは18個のトロフィーを獲得した。そのなかには2回のチャンピオンズリーグ・タイトル、5回のプレミアリーグ制覇、そして直近では2022年FIFAクラブワールドカップが含まれる。
アブラモビッチ氏が行った大掛かりな投資のおかげで、チェルシーFCは長期に渡って世界的な強豪クラブに変貌した。しかし、その代償は大きかった。クラブがアブラモビッチ氏に負った負債額は20億ドル(約2,847億円)であると『Front Office Sports』が報じている。もっともアブラモビッチ氏はその債権を回収するつもりはないようだ。
ロマン・アブラモビッチ氏時代のチェルシーFC
アブラモビッチ氏がオーナーだった時期、チェルシーFCは欧州及び世界のサッカー界で長期的な強豪クラブに成長した。氏が経営権を得た2003年以来、チェルシーFCはプレミアリーグのトップ4に入らなかったシーズンは3回しかない。さらにチェルシーFCは18個のトロフィーを獲得した。そのなかには2回のチャンピオンズリーグ・タイトルが含まれる。
このロシア人の億万長者は頻繁にチームの首脳陣を交代させた。19年間で延べ14人の監督である。
アブラモビッチ氏の経営下で最も長く監督の座にいたのはジョゼ・モウリーニョ氏である。それでも2004年から2007年までの3シーズンでしかない。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻が始まってからは、アブラモビッチ氏のクラブ経営は困難になった。国際社会がロシアへの制裁を強めていったからだ。
戦時下における状況とアブラモビッチ氏の関係はクラブを悩ませることになった。2月末、当時の監督だったトゥヘル氏はそれを「苛立たしい」と表現した。3月上旬には記者会見でアブラモビッチ氏や戦争に関して度重なる質問を受けることに対してさらに苛立ちを募らせていった。
トゥヘル監督(当時)の記者会見を伝えるツイート:
「その質問はもうやめて下さい。私は政治家ではありません」
アブラモビッチ氏は経済制裁を受ける前に自身の西ヨーロッパにおける存在感を薄めようとしていたようだ。チェルシーFCの売却を決めたこともそのためである。「クラブ、ファン、従業員、スポンサー、そしてパートナーたちに最善の利益をもたらすために」と表現している。
アブラモビッチ氏は2月後半からクラブから距離を置くことを試み始めた。チェルシー財団の管財人に「管理と配慮」を引き渡すと発表したが、そのあまりにも簡潔で漠然とした声明は、答えよりも多くの疑問を提起しただけだった。そして管財人たちもその責任を負うことに乗り気ではなかった。
その後すぐ、3月2日にアブラモビッチ氏はクラブ売却を発表した。その莫大な金額にかかわらず、すぐに数多くの入札者が現れた。アブラモビッチ氏に代わって譲渡プロセスを管理したのはレイン・グループである。
フォーブス誌の最新の試算によると、チェルシーFCの2021年時点での資産価値は32億ドル(約4,564億円)だった。2012年には7億6,000万ドル(約1,085億円)だったので、その急成長ぶりをうかがうことができる。
トッド・ベーリー氏がトーマス・トゥヘル氏を解雇した理由
アブラモビッチ氏が去った後、チェルシーFCのファンは新オーナーの下ですぐにクラブが成功することに大きな期待を寄せた。
2022-23年のプレミアリーグ夏の移籍期間、ベーリー氏はチェルシーFCの補強に多大の投資を行った。選手獲得に費やした金額は合計で2億8,700万ドル(約410億円)に及んだ。ディフェンダーのウェズリー・フォファナとマーク・ククレラを、それぞれレスター・シティFCとブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCから獲得し、フォワードのラヒーム・スターリング (マンチェスター・シティFCから) とピエール・エメリク・オーバメヤン (バルセロナFCから) を獲得した。
オーバメヤンと契約したことは、とくにベーリー氏がトゥヘル氏を支持していたことを表していた。トゥヘル氏はボルシア・ドルトムント時代にオーバメヤンを指導していたことがあったからだ。オーバメヤンはフィールド外でのトラブルがあったが、優れたストライカーでもある。
しかし、プレミアリーグが開幕すると、チェルシーFCはシーズン序盤から苦しんだ。最初の6試合のうち、サウサンプトンFCとリーズ・ユナイテッドFCに敗れ、またUEFAチャンピオンズリーグの開幕戦でNKディナモ・ザグレブの1-0で敗れた。すると9月7日、ベーリー氏はトゥヘル氏を解雇することを選んだ。
クラブの公式声明では、この動きは明確な方針変更の一部であるということだ。
声明にはこうある。「新オーナーグループがクラブの経営を開始してから100日が経過しました。クラブを前進させるための努力は続いています。そして新オーナーたちは今こそがこの変化を推し進めるべき好機だと信じています」
ベーリー氏の長期的なチェルシーFC経営戦略がどのようなものか、それはこれから明らかになっていくだろう。
原文: Who owns Chelsea? Who is Todd Boehly and what happened to Roman Abramovich?
翻訳:角谷剛