大不振の西武がかつて築いた黄金時代…眠れる獅子はいつ目覚めるか|プロ野球2024

2024-06-13
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(Jiji Press)

トンネルを抜けると、またトンネルだった─。西武がひどいことになっている。まだペナントレース3分の1程度なのに2度の8連敗。かつて黄金時代を誇ったチームはどこへ。ライオンはいつ目を覚ますのか。

■首位から20ゲーム差、驚異的な敗戦ペース

今シーズンの西武に対する開幕前の評価は期待の方が多かった。理由は「リーグ1、2の投手陣」にあった。高橋光成、今井達也、平良海馬、松本航、与座海人、隅田知一郎ら完投能力を持った投手がそろっていた。4月7日、3カードで6勝3敗。ソフトバンクと同率1位となった。

それが、4月9日から7連敗→4月20日から5月10日まで4連敗3度→5月14日から8連敗→5月28日から松井稼頭央監督休養で渡辺久信GMが監督代行→6月2日からまた8連敗という地獄のような経過を辿った。

20敗目を喫したのが5月6日で、それから18日後に30敗目。その間勝ったのは2つだけ。2度目の8連敗は渡辺代行になって6試合目からだった。さらに8日に負けて首位ソフトバンクと20.5ゲーム差となり、11日の8連敗は58試合目で早くも40敗目という驚異的な負けっぷりとなった。西武の歴史を振り返ると、一時代を築いた黄金時代があった。それを思うと現在の凋落は悲しいとしか言いようがない。

■巨人をたたきのめした鎮西の獅子

ライオンズの伝統は福岡に本拠地を置いていた西鉄時代から始まった。1956年から58年までの3年連続日本一。すべて球界の盟主を誇った巨人に勝った歴史的な勝利だった。エースは“神様仏様稲尾様”と呼ばれた稲尾和久、打線は“青バット”の異名を取った大下弘に“怪童”中西太、それに“闘将”豊田泰光ら。この「原爆打線」「野武士軍団」を率いたのがのちの“魔術師”こと三原脩監督(巨人OB)だった。

巨人との日本シリーズは伝説が詰まっている。公式戦の打撃10傑に5人も入った57年は4勝1分けで圧倒し、58年は3連敗のあと4連勝。稲尾が第4戦から4連勝という離れ業をやってのけた。

当時は遠征の移動は夜汽車。西鉄は福岡だからもっとも端っこの本拠で、そこから大阪、東京へ向かった。夜行列車の通路に寝て一夜を過ごすなど大変な労力を費やした。それだけに強さは倍加の評価を与えてもいい。

西鉄はその後、黒い霧事件(八百長試合)などもあってぼろぼろのチームに成り果てた。太平洋クラブ、クラウンライターを経て79年に西武となった。ただ、そう変わり果ててもライオンズの名前だけは生き続けた。

■秋山、清原、デストラーデに工藤、渡辺、郭

ライオンズが不死鳥のごとく蘇ったのは西武に移ってからで、広岡達朗監督によって1982-1983年に優勝。続いて森祇晶監督が1985-1988年、1990-1994年と2度の4連覇、9年間で8度優勝という巨人V9に匹敵する超黄金時代を築いた。

この森時代は素晴らしい選手がそろった。打線は秋山幸二、清原和博、オレステス・デストラーデの主軸トリオに石毛宏典、辻発彦といった名脇役がいた。投手陣は東尾修、工藤公康、郭泰源、渡辺久信ら投打にタイトルホルダーがそろった。強さを象徴したシーズンは92年。打撃と防御率の10傑に3人ずつ、ベストナイン(DHを加え10人)と守備のゴールデングラブ賞はともに8人というすごさだった。

西武ファンはここ4年というもの優勝から遠ざかっている。優秀選手が次々と出て行き、年ごとに弱体し、残念ながら現状では復活の望みは限りなく薄い。ライオンズの歴史を振り返ると、移転によって復活した。