なぜティンバーウルブズはケビン・ガーネットの背番号21を永久欠番にしないのか? オーナーのグレン・テイラーとの確執

2024-06-04
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(Getty Images)

アンソニー・エドワーズがウルブズ史上最高の選手の1人への道を歩んでいることは確かだが、フランチャイズ史上最高の選手と比較できるようになるためには、かなり長い旅路が必要だ。

ケビン・ガーネットはウルブズのベストプレイヤーだ。1995年のNBAドラフトで全体5位指名を受けた彼は、ミネソタの名を知らしめ、前途有望な高校生からNBAのスター選手に昇り詰めた。

ガーネットはウルブズの主要選手としてキャリアをスタートし、4年目までには正真正銘のスター選手になった。6フィート11インチ(約211cm)のフォワードは、激しいディフェンスが強みで、優れたショット・ブロック力でトランジション(攻守の切り替え)を生み出した。攻撃面では、彼はボールの扱いに長けたビッグマンのパイオニア的存在で、非常に優れたインサイドスコアラーとしての地位をあっという間に築き上げた。

ガーネットはオールスターに15回、オールディフェンシブチームに12回選出され、MVPにも輝いた。これだけ栄誉を掴んだにもかかわらず、彼の象徴である背番号21がいまだウルブズの永久欠番になっていないことには、多くの疑問の声が上がってきた。

なぜ永久欠番にならないのか? それはミネソタにその意志が欠けているからではない。ガーネット自身が、彼がかつてスネイクと呼んだ人物、つまりウルブズのオーナーであるグレン・テイラーから名誉にあずかることを望んでいないからなのだ。

なぜティンバーウルブズはケビン・ガーネットの背番号21を永久欠番にしないのか?

未だに続いているガーネットとオーナーのグレン・テイラーの確執が枷となり、ウルブズは彼の背番号を永久欠番にしていない。2020年のThe Athleticのインタビューでガーネットは語っている。

「グレンは僕の立場や考えを知ってた」と、彼は続けて説明した。

「本当に不愉快だよ。まず彼は誠実じゃなかった。そして、彼は多くのファンや、おそらくそのコミュニティからプレッシャーをかけられてたんだ」

ガーネットはさらに、テイラーはガーネットが単なる1プレイヤーにとどまらず、ミネソタの組織内でより卓越した役割を担えるようにサポートすると彼に話したにもかかわらず、テイラーがその約束を破ったという経緯を明かした。ガーネットは、彼もオーナーのグループに所属すること、あるいはフランチャイズの重要な意思決定者になることを望んでいたそうだ。

これらの一連の出来事は、フリップ・ソーンダーズ ヘッドコーチがキャリア晩年にあったガーネットを2015年に再獲得した後に起こる。ガーネットの全盛期とも重なる1995年から2005年の間にもウルブズのヘッドコーチを務め、その後はフロントオフィスでも活動していたソーンダーズは、ガーネットが語ったような将来のビジョンをともに共有していた。

しかしソーンダーズはホジキン・リンパ腫を患い、2015年に帰らぬ人となった。彼の死後テイラーはトム・シボドーを新たな指導者に据え、ガーネットにとってはソーンダーズと生前に共有していたプランから転がり落ちるような気分であった。

「フリップが亡くなる前はグレンと僕の間には共通理解があった。でもそれはフリップが亡くなると同時に消えてしまったんだ」と、ガーネットはThe Athleticに語った。

「グレンを許すことはできない、許せないんだ。僕はグレンを誠実な人間で、ビジネスマンだと思ってけど、そんな思いも全てフリップの死と一緒に消えてしまったよ」

ガーネットは現役最終年の2015-16シーズンをウルブズでプレイしたために、オーナーシップグループに属することも、現役選手としてフロントで主要な役割を担うことも叶わなかったということは注目に値する。

チーム運営に何も干渉できなかったガーネットだが、それでもソーンダーズの後任に関わるテイラーの動きには異を唱えた。結果としてガーネットはミネソタのオーナーと関わりを持つことを、単に望まなくなった。

「文句は言わないよ」と、ガーネットは語った。

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「次に進むだけさ。ミネソタとそのコミュニティで過ごした日々を僕は大切に思っている。でも現時点では、グレン・テイラー、テイラーの組織、そして彼に関わる全てと関わりたくないんだ。僕はティンバーウルブズを愛してるし、仲間やミネソタで共に過ごした人々を常に愛してる。ミネアポリスとミネソタ州はいつだって僕の心の中の特別な場所にあるんだ。でもスネイクとの仕事は御免だね」

ケビン・ガーネットのウルブズ時代の成績、記録

ガーネットの背番号21が永久欠番に値することに疑いの余地はない。殿堂入りも果たした彼はキャリア平均17.8得点、10.0リバウンド、3.7アシスト、1.3スティール、1.4ブロックを記録しており、ミネソタ時代に限ってみればこれよりも良い数字を残している。

ウルブズでの14年間で平均19.8得点、11.0リバウンド、4.3アシスト、1.4スティール、1.6ブロックの成績だ。ミネソタでの最終シーズンは平均14.6分のプレイタイムであったにもかかわらず、得点とリバウンドでのダブルダブルを達成している。

現在でもガーネットはウルブズでMVPを受賞した唯一の選手であり、多くの主要部門でフランチャイズのトップに名を刻んでいる。(以下参照)

成績 合計 順位 
試合数 970 1位
出場時間(分) 36,189 1位
得点 19,201 1位
リバウンド 10,718 1位
アシスト 4,216 1位
スティール 1,315 1位
ブロック 1,590 1位
ウィン・シェア 139.8 1位

驚くべきことに、ガーネットが記録したウィン・シェア(選手がチームに貢献した勝利数を示す指標)139.8は、カール・アンソニー・タウンズ(75.0)とケビン・ラブ(47.0)のウィン・シェアの合計値よりも多いのだ。

これらの華々しい数字を見ると、ガーネットとテイラーの関係が、永久欠番の話をガーネットが拒むほどまで悪化したことがより一層悔やまれる。

ティンバーウルブズの永久欠番

今のところウルブズには、1つだけ永久欠番がある。それはマリーク・シーリーの背番号2だ。

シーリーは1998年から2000年までの2シーズンウルブズでプレイしたが、2000年5月に交通事故で帰らぬ人となった。シーリーが、彼の友人そしてチームメイトでもあったガーネットの誕生日パーティーに参列した帰り道のことだった。30歳の若さで亡くなったシーリーは、8年間のNBAキャリアで4チームを渡り歩き、平均10.1得点という成績を残した。

テイラーがミネソタの組織から去ることになれば、ガーネットの背番号もいつの日かシーリーの傍に掲げられるだろう。

セルティックスはガーネットの背番号5を永久欠番にしたのか?

現地2022年3月13日、セルティックスはガーネットの背番号5を永久欠番にした。ボストンで永久欠番となるのは彼が24人目だ。

ガーネットはセルティックスで6シーズンプレイしたのみで、チームが背番号5を永久欠番にするかどうかには元々疑念が抱かれていた。

「正直に言うと、僕は永久欠番に値するとは思ってなかったよ」と、ガーネットは彼のポッドキャスト、KG Certifiedで胸中を明かした。

「掲げられているのは、セルティックスのために信じられないほどの功績を残してきた選手ばかりだからね」

そうは言っても、ガーネットはボストンにとって重要な選手であり、2008年には17個目のNBAタイトルをもたらした。セルティックス在籍中には3度オール・ディフェンシブ1stチームに選出され、在籍1年目には最優秀守備選手賞も受賞した。

ガーネットの在籍期間は短かったものの、彼はセルティックスに大きな影響を与え、それまで平均以下のパフォーマンスに終わっていたボストンを優勝候補へと復活させた。それ以来セルティックスがコンテンダーであり続けていることからも、彼がチームにもたらしたものに、セルティックスが永久欠番という形で応えたことも納得だ。

原文:Why haven't the Timberwolves retired Kevin Garnett's jersey? Feud with owner Glen Taylor behind holding pattern(抄訳)                              翻訳:小野春稀(スポーティングニュース日本版)