【独占インタビュー】ジョシュ・オコーギー「遠くに離れている場所にいてもチャンスや可能性があることを知ってほしい」(青木崇)

2019-06-28
読了時間 約3分

昨年のNBAドラフト1巡目20位でミネソタ・ティンバーウルブズから指名されたジョシュ・オコーギーは、開幕から3試合目となる10月20日のダラス・マーベリックス戦でデビューした。4日後のトロント・ラプターズ戦で10点、11リバウンドのダブルダブルを達成すると、ルーキーながらローテーション入りを果たし、2018-19シーズンは52試合で先発出場の機会を得た。

『NIKE ALL ASIA CAMP』のゲストとして中国の深圳にやってきたオコーギーは、キャンプ参加者たちの年代とあまり変わらない20歳の若者だ。若きシューティングガードとして今後さらなる飛躍が期待されるオコーギーに、6月10日にキャンプ会場の李群体育倶楽部で話を聞いた(取材協力:NIKE BASKETBALL)。


バスケットボールを始めた頃に好きだったのはカーメロ・アンソニー

――まず、”Okogie”の発音について確認させていただくことはできますか?

ジョシュ・オコーギー(以下JO): オコーギー(oh-KO-gee)だ。

――これは日本のNBAファン向けのインタビューです。ミネソタ・ティンバーウルブズは、あなたがまだ1歳の頃(1999年)に日本でも試合をしたことがあるのですが、ご存知ですか?

JO: Wow! まったく見当がつかなかったよ。相手はどこだったの?

――サクラメント・キングスでした。

JO: 信じられないな。

――バスケットボールを始めたきっかけは?

JO: 僕はナイジェリア出身だけど、最初に始めたスポーツがバスケットボールだった。アメリカに移住したとき、一番上の兄はバスケットボールをすごくやりたかったのだけど、複数の仕事をしていたのでそのチャンスがなかったんだ。僕は、兄が目指そうとした道を歩んだことになるね。

――中学や高校時代にNIKE ALL ASIA CAMPと似たキャンプに参加したことがありますか?

JO: このような大きなキャンプに参加したことはなかったね。

――当時プレイで参考にした選手、憧れたNBA選手はいましたか?

JO: バスケットボールを始めた頃に好きだったのはカーメロ・アンソニー。高校生になってより真剣に取り組むようになって以降はKD(ケビン・デュラント)になった。

アヴィはナイスガイだ。彼が成功することを願っている

――2016年にNIKE ALL ASIA CAMPに参加したことがあるシェーファー・アヴィ幸樹(現Bリーグ アルバルク東京)は、ジョージア工科大学で1年間チームメイトでした。彼についてどんな印象を持っていますか? また、何かおもしろいエピソードはありますか?

JO: Wow! アヴィはナイスガイだ。彼は日本代表でプレイしたから、ちょっと遅れて大学にやってきたのを覚えているよ。僕はエジブトで行なわれた19歳以下のFIBAワールドカップに(アメリカ代表として)出場したけど、アヴィもまた国を代表してプレイしていたのを見ている。間違いなく素晴らしい人間だから、彼が成功することを願っている。

――国を代表することの意義をどのように感じていますか?

JO: 素晴らしいことだという気持ちになったのは間違いない。代表としてプライドを持って出場したし、それをすごく誇りに思っている。大好きなスポーツで国の代表メンバーに選ばれたことは、本当に特別なことだからうれしかったよ。

――NBA選手になれると確信したきっかけのようなものはありますか?

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JO: もちろんあった。大学に入ったときから現在NBAでプレイしているレベルの高い選手たちと競い合っていたし、才能ある彼らとのマッチアップによって、自分もNBAに近いことがわかったよ。

最初のシーズンはまずまずだったと思う

――2018年NBAドラフト1巡目20位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名されました。指名された瞬間の気持ちを教えてください。 

JO: 言葉で表現できないくらい、いろいろな感情が自分の中にあった。当時球団社長でもあったコーチ・ティブス(トム・シボドー前ヘッドコーチ)から電話をもらったけど、まともに話ができなかったのを覚えている。彼がいろいろ話をしてくれたけど、僕は何を言えばいいかもわからない状況だった。すごく特別な瞬間だったことは間違いない。 

――プロ1年目は74試合出場、そのうち52試合で先発しました。オールスターのライジングスターズの一員にも選ばれました。昨シーズンの自分の出来を採点するとどのくらいですか? 

JO: 最初のシーズンはまずまずだったと思う。グレードをつけるならば、おそらくBだろうね。シーズンが始まるときにどうなるのか自分にはまったくわからなかったし、シーズン中に起こった変化(ジミー・バトラーがフィラデルフィア・76ersにトレードされたこと)もあった。まったく出番のないところから始まり、ベンチから出てプレイする機会を得てからスターターになるなど、役割も変わっていった。それに対する順応はうまくやれたと思うけど、まだまだレベルアップしなければならないことがあるね。 

――3月23日のメンフィス・グリズリーズ戦では、対戦相手に渡邊雄太選手(#12)がいました。彼は2ウェイ契約であなたと同じルーキーでした。彼について何か知っていることはありますか?

JO: 彼について何かを知っているわけじゃないけど、すごくハードにプレイしているのはわかっている。グリズリーズにとっていい仕事をやっているし、成功のシーズンだったと思う。 

――この先、NBAで成功を収めるために必要なことは何だと思いますか?

JO: 僕自身、それとも一般論として?  

――できれば、両方でコメントをしていただけますか? 

JO: OK。僕個人に関しては3ポイントショットを着実に決めていくことだ。また、それはNBA全般でも同じことが言えるだろうね。3Pを一貫して決められるような選手になれれば、NBAで長いキャリアを築くことができると思う。 

オラジュワンのようにナイジェリアを代表できる立場になれたら

――NBA選手として最終的にどのような存在になりたいと考えていますか? 

JO: ジミー・バトラーやカワイ・レナードのような選手だ。相手の武器を抑え込むディフェンスをできるようになるだけでなく、オフェンスでも毎試合脅威になれるという2ウェイプレイヤー(二面性のある選手)だ。 

――ナイジェリアのラゴスに住んでいたと思うのですが、故郷での思い出を何か教えてもらえますか?

JO: 生まれはラゴスだけど、アメリカに移住したのが2歳のときだから、当時のことは覚えていないんだ。8年生(日本の中学2年生)のときにナイジェリアに戻る機会があり、それまで電話で話して顔と声が一致できずにいた叔父や叔母といったファミリーと、生まれ育った村で会うことができた。今はより多くの人と家族関係が持てるようになっているから、その状況をすごく快適に感じている。

――ナイジェリア出身のスター選手といえばアキーム・オラジュワンが有名ですが、彼と交流はありますか?

JO: まだないけど、自分のルーツとも関わっているから、その機会を探し求めているのは明らかだ。今度戻ったときには、彼のようにナイジェリアを代表できる立場になれたらと思っている。

――最後に、NBAを目指している日本の若いバスケットボール選手たちに何かアドバイスをいただけますか?

JO: もちろんだよ。日本人としてNBA選手になりたいと一度でも思ったのならば、遠くに離れている場所にいてもチャンスや可能性があることを知ってほしい。どんなことでも、可能性を信じるという心構えで取り組むことが大事だ。

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