5月27日(日本時間28日)、ネイスミス・メモリアル・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(以下、殿堂)入りしているビル・ウォルトン氏が亡くなったことが分かった。71歳だった。「長きにわたる」がんと闘病の末、家族に見守られながら旅立ったという。
そのサイズやヘアスタイルから「ビッグ・レッド」の愛称で親しまれたウォルトンは、NBAで10シーズンを戦ったスター選手だった。1977-1978シーズンのMVPを受賞し、1977年にポートランド・トレイルブレイザーズ、1986年にボストン・セルティックスで、2回の優勝を達成している。
引退後は放送業界に転身し、バスケットボール界で最もユニークで愛されるタレントのひとりとなった。
NBAコミッショナーのアダム・シルバーは声明で「ビル・ウォルトンは本当に唯一無二の存在でした」と述べている。
「殿堂入りした彼はセンターというポジションを再定義した人物です。その独特なオールラウンドのスキルでUCLAでは支配的な力を発揮し、NBAのレギュラーシーズンとファイナルでMVPを受賞。NBAで2回の優勝を達成し、創設50周年と75周年の記念チームにも選ばれました。その後、ビルは周囲に伝わるバスケットボールへの熱意と愛情を放送界で示し、洞察力あふれる興味深い解説で何世代にもわたるバスケットボールファンを楽しませてくれました。ですが、私が彼のことで何よりも覚えているのは、人生に対するその熱意です」
訃報を受け、シルバーのみならず、多くの関係者がウォルトンを追悼している。
ビル・ウォルトンの在籍チーム
ウォルトンはNBAのキャリアで3チームに在籍した。
- ポートランド・トレイルブレイザーズ(1974~79年)
- サンディエゴ/ロサンゼルス・クリッパーズ(1979~85年)
- ボストン・セルティックス(1985~88年)
ウォルトンは1977年にブレイザーズで初優勝を達成。1977-1978シーズンにはMVPを受賞した。1986年にセルティックスで2回目の優勝。同シーズンにシックスマン賞にも選ばれている。
ビル・ウォルトンの成績
ウォルトンはNBAでの468試合で平均13.3得点、10.5リバウンド、3.4アシストを記録した。平均ダブルダブルを達成している。MVPを受賞した1977-78シーズンは、自己最多の平均18.9得点、13.2リバウンド、5アシスト、2.5ブロックをマークしている。
シーズンごとのスタッツは以下のとおりだ。
シーズン | チーム | 試合 | 平均得点 | 平均リバウンド | 平均アシスト | 平均スティール | 平均ブロック |
1974-75 | ブレイザーズ | 35 | 12.8 | 12.6 | 4.8 | 0.8 | 2.7 |
1975-76 | ブレイザーズ | 51 | 16.1 | 13.4 | 4.3 | 1.0 | 1.6 |
1976-77 | ブレイザーズ | 65 | 18.6 | 14.4 | 3.8 | 1.0 | 3.2 |
1977-78 | ブレイザーズ | 58 | 18.9 | 13.2 | 5.0 | 1.0 | 2.5 |
1979-80 | クリッパーズ | 14 | 13.9 | 9.0 | 2.4 | 0.6 | 2.7 |
1982-83 | クリッパーズ | 33 | 14.1 | 9.8 | 3.6 | 1.0 | 3.6 |
1983-84 | クリッパーズ | 55 | 12.1 | 8.7 | 3.3 | 0.8 | 1.6 |
1984-85 | クリッパーズ | 67 | 10.1 | 9.0 | 2.3 | 0.7 | 2.1 |
1985-86 | セルティックス | 80 | 7.6 | 6.8 | 2.1 | 0.5 | 1.3 |
1986-87 | セルティックス | 10 | 2.8 | 3.1 | 0.9 | 0.1 | 1.0 |
ウォルトンはケガのために1978-1979シーズン、1980-1981シーズン、1981-1982シーズン、1987-1988シーズンと4シーズンを休んでいる。
ビル・ウォルトンの大学キャリア
UCLA出身のウォルトンは、史上有数の大学バスケットボール選手と見なされている。2回の全米優勝に貢献。どちらもチームは30勝0敗という成績だった。ウォルトンはNCAA記録の88連勝にも貢献している。
大学時代にウォルトンは平均20.3得点、15.7リバウンドを記録し、NCAAの年間最優秀選手に3回選ばれた。複数回の受賞はウォルトンとバージニア大学のラルフ・サンプソン(3回)、パデュー大学のザック・イディー(2回)と史上3人しか達成していない。
ビル・ウォルトンの放送界でのキャリア
ウォルトンは1990年に放送界に転身し、意見を二分させ、だが愛される存在となった。『CBS』、『NBC』、『ESPN』といったメディアで働き、クリッパーズやキングスの解説も務めた。
ウォルトンは華やかな分析やストーリーテリングなど、常に放送をユニークで楽しいものにしてきた。
原文:Bill Walton dies at 71: NBA world mourns loss of Hall of Famer, broadcaster after battle with cancer(抄訳)
翻訳:坂東実藍