F1に付き物?「ファーストドライバー」「セカンドドライバー」の悲喜こもごも Vol.1|F1コラム

2022-12-12
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2022年F1第21戦・サンパウロGPで、ポジション交換を巡って緊張感あるやり取りが垣間見えたレッドブル。今シーズンのドライバーズチャンピオンに輝いたマックス・フェルスタッペンと、そのチームメイトであるセルジオ・ペレスの関係を巡って、F1の関係者の反応も様々に分かれている。そして、最終戦のアブダビGPでは、フェルスタッペンがペレスのアシストに回らず、次第にレースを独走するように。結果としてペレスはルクレールより前でフィニッシュできず、ドライバーズランキング3位でシーズンを終了。レッドブルチームは創設以来成し遂げていなかった「ドライバーズランキング1-2」を逃してしまった。

ただ、F1の歴史を辿っていけば、こうしたチームメイト同士のいざこざは得てしてあるもの。今回の記事では過去の例を振り返りつつ、学んでいくことにしたい。2部構成の1本目は、強烈なキャラクターを誇ったチャンピオンとセカンドドライバーの関係性、そして「エース同士の共演」が生んだジレンマについて振り返る。

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チーム内の序列はいつの時代も存在するが、強烈だったシューマッハ

F1が「1チーム2台」という現在のかたちに落ち着いたのは1990年代のこと。それ以前は1台だけのマシンで参戦するチームも少数ながらあったわけだが、基本的には1チーム2台という形が取られ続けている。

古くはジム・クラークやマリオ・アンドレッティ、アイルトン・セナなどを擁したロータス、ジャッキー・スチュワート時代のティレルなどのチームが、明確に2人のドライバーの序列を分けてきた。とくにセナは、ロータス時代の1986年、スポンサー企業のプッシュにより実力派として一目置かれていた、イギリス人のデレック・ワーウィックが起用されようとしていたところ、「(セナ自身)自らがナンバー1ドライバーである」という立場から、彼の起用を拒否したと伝えられている。

セナや当時のロータスで監督だったピーター・ウォー、さらには最終的に起用されたジョニー・ダンフリーズなど、当事者たちが次々に亡くなっている今、正確な状況を把握することは難しくなっているが、現在に至るまで各種メディアでも語り草となっている一件だ。

また、伝統的にフェラーリもそうしたチーム作りを行なっている、と語られることがある。近年においてそのイメージを決定づけたのが、7度の世界王者に輝いたミハエル・シューマッハであろう。

1990年代前半のベネトン在籍時から、「自らが絶対的エース」とする体制を常に構築してきたシューマッハ。当時であればリカルド・パトレーゼやヨス・フェルスタッペン、ジョニー・ハーバートなどに対して、コース内外で優位を築き上げていった。

参考動画:ミハエル・シューマッハの10大名場面(F1公式YouTubeチャンネル)

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1996年にフェラーリに移籍したあともそれが変わることはなく、エディ・アーバイン、ルーベンス・バリチェロ、フェリペ・マッサのアシストの下で勝ち星を量産。とりわけバリチェロとコンビを組んだ2000年以降、ドライバーズチャンピオン5連覇という空前絶後の偉業を成し遂げた。

そんななか、2002年のオーストリアGPでの出来事が、2人の序列を象徴する出来事として語られている。このレースで首位を走っていたバリチェロに対し、フェラーリチームは終盤になって、シューマッハに勝利を譲るよう圧力をかけたという。数周にわたって無線で抵抗を続けたバリチェロだが、フィニッシュ直前になってシューマッハにポジションを明け渡す。

あまりにも露骨な出来事だったことが影響したか、翌2003年シーズンから、そうした「チームオーダー」と呼ばれる順位操作が禁止される事態にまで発展した。このルールは2011年に改めて「解禁」されることになるのだが、その理由は後述する。

2006年を最後に一度は引退を選んだシューマッハ。2010年、前年のチャンピオンチーム「ブラウンGP」を買収して誕生したメルセデスのドライバーとして現役復帰を果たす。シューマッハは若手時代の1991年までメルセデス・ベンツの育成プロジェクトに参加しており、19年ぶりの「古巣復帰」でもあった。このときチームメイトとなったのが、ニコ・ロズベルグ。

当時25歳、のちにチャンピオンを獲得するロズベルグも、当時はまだ若手ドライバーのひとり。後年、F1公式YouTubeにてシューマッハが掌握していたチームの中で立場を作るのはなかなかに厳しかったと、当時を振り返っている。

参考動画:デビッド・クルサードとニコ・ロズベルグのリモート対談

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メルセデスでの3年間、ついにロズベルグを上回るような成績を収められなかったシューマッハは、2012年を以て再びの引退を決意する。悠々自適な生活を送っていた矢先の2013年の年末、息子であるミック・シューマッハとフランスでスキーを楽しんでいたところで転倒。頭に大ケガを負ってしまい、以来、公の場に姿を見せることはかなわなくなっている。

セナとプロスト、アロンソとハミルトン…。エースを2人並び立てたマクラーレン

ときに、こうした序列を付けず、2人のドライバーを対等に扱う、とするチームも現れる。これはF1では「ジョイント・ナンバー1」と呼ばれていて、強豪チームが採用することもある。代表的なのはマクラーレンにおける例で、1980年代終盤のセナとアラン・プロスト、2007年に結成されたフェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンなどが挙げられる。

1988年、ホンダ製のターボエンジンを獲得したマクラーレンは、かねてよりチームのエース格だったプロストのチームメイトとして、同じホンダエンジンを使うロータスのエースだったセナを招く。パワー・燃費・信頼性を兼ね備えたホンダエンジンに、空気抵抗の少ないボディをまとった「MP4/4」を武器に、この年行なわれた16戦のうち、セナが8勝、プロストが7勝。チームとして15勝…という伝説的な戦績を残す。

ただ、この頃からすでに2人の間に火種がくすぶっており、翌1989年以降は、度々衝突を繰り返すようになり、シーズン終盤にはプロストがフェラーリへの移籍を発表するなど、チャンピオンを争いながら2人の関係がこじれにこじれていく。そして、この年の日本GPで、追い抜きを仕掛けたセナとプロストが交錯。これがプロストのチャンピオン獲得の決定打となってしまった。

わずか2年で解散したコンビだが、両者のライバル関係は「セナ・プロ論争」として、今なお語られ続ける一件だ。

参考動画:1989年日本GP、セナとプロストのハイライト映像

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2007年のマクラーレンに、当時ルノーのエースとして2連覇中の王者だったアロンソが加入することになった。そこに加わることになったのが、幼少期からマクラーレンの支援を受けてキャリアを積んでいたハミルトンだった。

端から見れば「王者とルーキー」の組み合わせだったが、開幕当時、アロンソが25歳、ハミルトンは23歳。チームは次第に、若さゆえの不安定さを見せるようになっていく。ハミルトンが開幕直後から非凡な才能を見せつけ、チャンピオン戦線を争い、ドライバーズランキング首位を走り続ける。ハミルトンがルーキーにして王座獲得か…と周囲は色めき立ったわけだが、アロンソが次第に態度を硬化させ始める。

それが目に見えて現れたのが、この年の後半に行われたハンガリーGPでの出来事だった。予選アタックの途中でタイヤ交換のために、アロンソはピットに戻る。チームとしてはアロンソとハミルトンのタイヤ交換を立て続けに行ない、最後のアタックに送り出す…という算段だった。ところが、アロンソはタイヤ交換を終えたあともしばらくマシンを止めたまま。後ろからはハミルトンがピットへたどり着き、足止めを食ってしまう。

その後、両者はコースへと戻り、アロンソはポールポジションを獲得するが、ハミルトンがタイムアタックを始める前に、時間切れとなってしまったのだ(その後の裁定でアロンソに5グリッド降格のペナルティが与えられている)。

この一件と前後して、マクラーレンはフェラーリの元エンジニアから情報を不当に手に入れたとする、通称「スパイゲート」と呼ばれる産業スパイ事件の渦中にあった(のちに「有罪」とされ、この年のコンストラクターズポイントを全て剥奪されるなどの処分を受ける)。アロンソはマクラーレンの首脳陣と、この事件の扱いを巡っても対立を深めていた。

チーム、ドライバー、そしてその関係者…。さまざまな思惑が渦巻くなか、最終戦でフェラーリのキミ・ライコネンに逆転での王座獲得を許してしまう。シーズン終了直後、アロンソはかつて所属していたルノーへの復帰を発表し、このコンビは1年での解散が決まった。その後もトップドライバーであり続けたものの、アロンソはチャンピオンとは縁がないまま現在に至っている。

後編へ:エースが「セカンドドライバー」になることも? F1のチームワークを紹介 Vol.2|F1コラム

オフシーズンも随時コラム更新

スポーティングニュース日本語版では、オフシーズンもF1にまつわるコラムの更新を予定している。来シーズンに向けた話題や、過去のF1にまつわる雑学的なもの、F1初心者という方から、玄人の皆さんでも思わず頷くような内容まで幅広く取り扱う予定だ。ぜひオフシーズンの楽しみとしていただきたい。

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