2023年のF1のエントリーリストがこのほど発表され、全ドライバーのカーナンバーが決定した。F1では2014年から、それまでのコンストラクターズランキングをベースとした番号の振り分けを取りやめ、ドライバーによる希望ナンバー制を取り入れている。
カーナンバーはどうやって決定されるのか、いま一度解説するとともに、ナンバーに込められたエピソードや、過去のF1をいろどった伝説的なナンバーなどを取り上げていく。
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基本的には「0~99」で空いていればOK
カーナンバーで取り決めがあるのは「0」から「99」までの数字であること。このなかで、空いている番号を自由に選択することができる。一度選ばれたナンバーは、その後移籍などがあっても使い続けることが決められている。
また、一度F1を離れても、そこから2シーズンが経過するまでは、それまで着けていたドライバーに使用権が残るとされている。来季復帰を果たすニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)は、これまで使用してきた「27」をスポット参戦の際にも使い続けていたため、4年ぶりのフルシーズン参戦ながらこの番号を使えることとなった。
一方で、前任者がF1を離れてから2シーズン以上が経過した番号は、翌年から再び空き番号になるというルールもあり、しばしば「2代目」が現れている。来季のF1参戦ドライバーのなかではアルピーヌへ移籍したピエール・ガスリーがそれに当たり、2014年に小林可夢偉が選んだ「10」を2017年のF1デビュー以来使用している。ちなみにこの「10」は、フランスサッカー界のレジェンド、ジネディーヌ・ジダンの背番号にちなんだものだそうだ。
来シーズンのルーキーの番号を見ると、ローガン・サージェント(ウィリアムズ)が「2」、ニック・デ・フリース(アルファタウリ)が「21」、オスカー・ピアストリ(マクラーレン)が「81」となっている。当初、サージェントのナンバーは「02」とアナウンスされていたが、12月16日に更新されたエントリーリストでは「2」となった。
ちなみに、申請の段階で使用したいナンバーが被った際には、前年度のF1でのランキングをもとに優先されることとなっており、後述する「17」で永久欠番となったジュール・ビアンキは、この番号がなんと第4希望のナンバーだった。
ただ、そのなかでも自由に使うことができないナンバーが2つ存在し、「1」と「17」が現時点では該当する。「1」は前年度の王者にだけ使用する権利があり、希望ナンバー制では2014年にセバスチャン・ベッテルが、2022年からはマックス・フェルスタッペンが使用している。
ルイス・ハミルトンはチャンピオン獲得後も自らの「44」を使用することにこだわったほか、2016年王者のニコ・ロズベルグは、チャンピオン獲得とともに引退したため、「1」が長らく使われてこなかった。
チャンピオンが「1」を使用しない、という例はF1でこそ新鮮だが、2輪のMotoGPでは見慣れた光景となった。バレンティーノ・ロッシやマルク・マルケスといった一時代を築いたライダーたちも、元々割り当てられたパーソナルナンバーを使い続ける、という事例が見られ、2013年以降、ゼッケン「1」を使用したライダーは不在となっている。
そして、「17」は、2014年に選択したジュール・ビアンキが、この年の日本GPで喫したクラッシュが原因で翌2015年に死去。FIAは、彼の死を受けて永久欠番とすることを決めたため、希望ナンバー制での「17」は、ビアンキひとりが着けたのみとなっている。
「ナンバーかぶり」に直面。ドライバーが絞る知恵
何人かのドライバーは、幼少期のカート時代に着用していたナンバーをそのまま使用していて、現役ドライバーであれば、セルジオ・ペレス(レッドブル)の「11」、フェルナンド・アロンソ(アストンマーチン)の「14」、ハミルトンの「44」などがこれにあたる。
あとに続くドライバーが、カート時代の番号を使いたい、となったとき、先輩ドライバーがすでに使用している場合もあり得る。現在参戦中のドライバーでは角田裕毅がまさにそのパターンだ。
F1デビューに当たって、カート時代の「11」を自身のナンバーにしようと考えていた角田だが、既にそれはペレスの番号となっている…。ということで角田は、それぞれの桁に1を足して「22」とした。ちょうど、それ以前に「22」を使用していたジェンソン・バトンがF1を去ってから2年以上が経過していて空き番号となっていたため、使用に当たっての問題はなし。その際、バトンも角田に対してエールを送っている。
ちなみに、希望ナンバー導入制以前のF1では、2006年から2008年にスーパーアグリに所属した佐藤琢磨がこの番号を使用しており、日本人になじみ深いナンバーともいえるだろう。
現在フェラーリのエースを務めるシャルル・ルクレールも、実は「かぶり」に困ったひとり。当初彼は「7」を選びたがっていたのだが、大先輩であるキミ・ライコネンがその番号を背負っていたからだ。
ちなみにライコネンが7にした理由は「別に前の年から変える必要がない」(固定ナンバー導入前の2013年もたまたま「7」が割り当てられている)というエピソードがついて回るのだが、いずれにせよルクレールは考え直しに。「1+6」ということで「16」を着けることとなった。ちなみに、ルクレールの誕生日も「16日」ということで、縁のある数字に落ち着いている。
過去のF1を彩った個性的なナンバーたち
固定ナンバーが導入される以前のF1も、象徴的なナンバーがいくつか存在した。少し脱線するが、そちらもこの記事で紹介しておきたい。
F1のカーナンバーがシーズンを通じて固定化されたのは1974年のこと。そこから1995年までは、チームに割り当てられた固定のナンバーが使われていた。代表的なのがティレルチームの「3」と「4」で、ティレルはこのルールが導入されていた20年以上のあいだ、ずっと同じ番号を使用し続けた。
また、1981年に「27」と「28」が割り当てられたのがフェラーリ。前年にチャンピオンチームとなったウィリアムズと入れ替わりでこの番号を使うことになるのだが、このとき「27」を背負ったのがジル・ヴィルヌーヴだった。低迷していたフェラーリで時折光る走りを見せたことがフェラーリファンの心に強く焼き付き、一気にチームの中で特別なナンバーと化した。
のちにチャンピオン争いをしたミケーレ・アルボレートやナイジェル・マンセル、アラン・プロストなどがこの27番を背負うことになる。だが、この番号に並々ならぬ憧れを抱いていたのが、1991年にフェラーリに加入したジャン・アレジだった。
アレジはプロストが去った1992年にカーナンバーを27番に変更すると、彼もまた当時の低迷したフェラーリで情熱あふれる走りを見せて、ファンの心を掴んで離さなかった。1995年にはヴィルヌーヴの母国であるカナダGPでキャリア唯一の優勝を飾ったアレジ。伝説のナンバー「27」のラストウィンも、なかなかにドラマチックであった。
そのフェラーリと入れ替わったウィリアムズは1984年以降、「5」と「6」がメインの番号となる。この番号で鮮烈な活躍をみせたのが、ナイジェル・マンセルだった。
1985年にウィリアムズ入りしたマンセルは、このシーズンの途中からチームメイトのケケ・ロズベルグとの識別のために、ナンバーの色を白から赤にチェンジ。この年、キャリア初優勝を飾ったこともあって、「レッド5」がそのままマンセルの二つ名となっていった。
フェラーリ移籍を挟んで1991年に復帰した際に、再びレッドファイブのマシンに乗ったマンセル。その後、アメリカのCART(現在のインディカー・シリーズの源流のひとつ)に参戦した際にもレッド5を実現させている。ちなみに1994年にウィリアムズからF1復帰をしたときはさすがにそうも行かず(当時5番を付けたのはベネトンのミハエル・シューマッハ)、「レッド2」として4戦を走っている。
オフシーズンも随時コラム更新
スポーティングニュース日本語版では、オフシーズンもF1にまつわるコラムの更新を予定している。来シーズンに向けた話題や、過去のF1にまつわる雑学的なもの、F1初心者という方から、玄人の皆さんでも思わず頷くような内容まで幅広く取り扱う予定だ。ぜひオフシーズンの楽しみとしていただきたい。