アラブ首長国連邦(UAE)のヤス・マリーナ・サーキットにて行われる2022年のF1最終戦となる第22戦アブダビGP。3月に開幕した今季2022年シーズンは、最終戦を待たずして、第18戦の日本GPでマックス・フェルスタッペンがドライバー王者、第19戦のアメリカGPでレッドブルがコンストラクター王者を早々に決めている。
しかし、これまでF1において、最終戦がドライバーズチャンピオン決定の舞台となったのは過去73シーズン中30回に及ぶ。今回はそんなドラマチックとも言える「最終戦でのチャンピオン獲得」を果たしたレースをいくつか取り上げる。
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ニキ・ラウダの最少ポイント差・最長ブランク戴冠劇
1984年に最終戦の舞台となったのは、このときが24年ぶりの開催となったポルトガルGP。全16戦で争われたこのシーズンは、燃費とパワーに優れた「TAG」のターボエンジンを使用していたマクラーレンが席巻した。チャンピオンを争ったのは当時29歳のアラン・プロストと、それまで2度の王座に輝いていた、当時35歳のニキ・ラウダだった。最終戦までに6勝をあげていたプロストがシーズンを引っ張ったのだが、後半戦に入ってから4回のリタイアを喫して失速気味。一方のラウダは前半戦こそリタイアするレースがあったものの、プロストが取りこぼしたレースを着実に勝ち、プロストが優勝したレースでも2位に入るなどでポイントを獲得し続け、混戦模様となっていた。
レース前の時点でプロストが62.5ポイントに対し、ラウダが66ポイント。当時のシステム上、ラウダは2位以上で無条件にチャンピオンを獲得でき、逆にプロストは優勝してもラウダが3位以下でないと逆転ができない、という条件だった。
迎えた最終戦ポルトガルGP、予選2番手スタートのプロストはレース序盤にトップに立ったものの、11番手スタートのラウダがジワジワとポジションを上げ、レース中盤には3番手、さらにライバルのリタイアもあって2番手に。プロストはラウダに13秒の差を付けて優勝したものの、ラウダはポジションを守りきって2位でフィニッシュ。この結果、プロスト71.5ポイント、ラウダが72ポイントとなり、史上最少となる「0.5ポイント差」での王座獲得となった。
また、ラウダにとっては1977年のフェラーリ在籍時以来、7年ぶり3度目のチャンピオンでもあった。0.5ポイント差での王座決定と、最後にチャンピオンとなってから7年後に再び獲得という例はほかになく、この2つの記録と共に語られる最終戦にもなっている。
参考動画:1984 Portuguese Grand Prix: Race Highlights(F1公式YouTubeチャンネル)
ハント、シューマッハ、ハッキネン…「最終戦・日本で決着」は過去4度
日本で行われるF1のレースは、これまでそのほとんどがシーズン終盤に行われてきた(1994年の序盤戦に「パシフィックGP」が岡山県で開催されている)。最終戦として組まれた時期もあり、日本は過去4度チャンピオン決定の舞台にもなった。
そして奇妙なことに、その全てがマクラーレンとフェラーリによる争いによるものだ。1998年と1999年はマクラーレンのミカ・ハッキネン、2003年にはフェラーリのミハエル・シューマッハがタイトルを獲得している。
1998年は、ランキング2位で追っていたシューマッハがポールポジションでスタート…のはずが、スタート直前にいわゆる「エンスト」を起こしてしまい、最後尾に回ることとなってしまう。逃げるハッキネンを猛然と追ったシューマッハだったが、レース中盤にタイヤがバースト(破裂)。そのままリタイアとなり、この時点でハッキネンのチャンピオンが確定する。ハッキネンは優勝でタイトル獲得に華を添えた。
参考動画:Hakkinen Battles Schumacher For The Title | 1998 Japanese Grand Prix(F1公式YouTubeチャンネル)
1999年、シーズン中盤のイギリスGPでシューマッハが脚を骨折して戦線離脱。ハッキネン有利と思われたところで、フェラーリのエディ・アーバインがハッキネンを猛追し、終盤で逆転。わずかな差でランキング2位に落ちたハッキネンが自力で連覇を決めるには、日本GPで勝つことが条件だった。レースはスタートでシューマッハを抜き去ったハッキネンが、そのまま先頭を走りきって優勝。2年連続チャンピオンを自ら決めてみせた。
2003年は、当時3連覇中のシューマッハが断然優位で最終戦を迎えるも、雨まじりの予選で満足なアタックができず、シューマッハは14番手に沈み、決勝でも序盤に佐藤琢磨(BAR)と接触してピットインを余儀なくされる。もしシューマッハがこのレースで入賞できず、逆にランキング2位のキミ・ライコネンが優勝すると、大逆転でライコネンが王者になるという可能性が現実味を帯びてしまった。
そんなシューマッハを救ったのが僚友のルーベンス・バリチェロ。バリチェロは序盤で首位に立つとその座を譲らずに優勝し、この時点でシューマッハのタイトルが決定する。シューマッハも後方から追い上げて8位に入賞し、1ポイントを獲得。薄氷を踏む思いでの王座獲得劇だった。
残る1回がいつなのかと言えば1976年、日本で初めてF1のレースが富士スピードウェイで行われた時のことだ。この年のシーズン後半に行なわれたドイツGPで、ランキング首位だったフェラーリのニキ・ラウダがクラッシュによる火災で大火傷を負って一時欠場となる。首位の座を守ったまま日本GPに臨んだものの、雨や霧で狭い視界でのレースを危険と判断して自らリタイアを選ぶ。
一方、タイトルを争ったマクラーレンのジェームス・ハントは3位に入ってポイントを獲得。ラウダを逆転して生涯唯一の王者に輝いている。
フェルスタッペン vs. ハミルトン…47年ぶり、同点での最終戦決着
2009年から始まったアブダビGP。その2009年と2010年の開催初期のほか、2014年以降は毎年最終戦の舞台となっている。過去、2010年のセバスチャン・ベッテル(レッドブル)、2014年のルイス・ハミルトン、2016年のニコ・ロズベルグ(共にメルセデス)がここでタイトル獲得を決めた。
そして、記憶に新しいところでは2021年のアブダビGPが印象深い。レッドブルのマックス・フェルスタッペンとメルセデスのハミルトンとの間にポイント差は無し。1974年にエマーソン・フィッティパルディ(マクラーレン)とクレイ・レガツォーニ(フェラーリ)が争って以来となる、「同点での最終戦」を迎えたのだ(このときはフィッティパルディが王座獲得)。
とにかく、お互い相手より前に出て、1ポイントでも多く得た方がチャンピオンというレースだったが、フェルスタッペンがなかなかリズムを掴めず、一方でハミルトンが着々とリードを広げ、終盤戦に突入する。しかし、残り5周というところでニコラス・ラティフィ(ウィリアムズ)がクラッシュし、セイフティーカー(SC)が投入される。
10秒以上あったハミルトンのリードはこれで失われ、フェルスタッペンは最後の賭けとして先にタイヤを交換していた。SCが残り1周で解除されてレースが再開すると、猛然と追い立てたフェルスタッペンが、ハミルトンをかわしてトップに立つ。最後の最後まで諦めることのなかったフェルスタッペンが、1対1の勝負を制して優勝とチャンピオンを手繰り寄せたのだった。
今季最終戦は間もなく
2022年も最終戦となるアブダビGPだが、今年はドライバー、コンストラクターそれぞれのチャンピオンがすでに決定している。ただ、熾烈な中団争いを始めとして、さまざまなランキングの決着の舞台となるため、白熱のレースが予想される。アブダビGPは、日本時間11月18日(金)19:00からのFP1で開幕し、予選は同19日(土)23:00、決勝は同20日(日)22:00スタートとなる。