現代のF1は1チームが2台のマシンをエントリーさせてレースに臨む。よほどのことがない限り、チームメイトの協力なくして、勝利やチャンピオン争いは望めない。だが、2022年シーズンのF1では、終盤戦にレッドブルのマックス・フェルスタッペンとセルジオ・ペレスとの間に、やや緊迫した関係が見られた。
チームによっては「ファースト」「セカンド」と役回りを明確に設定することもあるF1。前回のコラムに引き続いて、「セカンドドライバー」にスポットライトを当てていく。
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パトレーゼ、バリチェロ、ウェバーなど、チャンピオンの影にチームメイトあり
前編:F1に付き物?「ファーストドライバー」「セカンドドライバー」の悲喜こもごも Vol.1|F1コラム
偉大なるチャンピオンたちがいる裏で、ドライバーズチャンピオンはひとりで獲得できるものではない。彼らは得てして、チームメイトのアシストを受けながらチャンピオン争いに身を投じる。ということで「セカンドドライバー」と言われた男たちも、いぶし銀の職人的ドライバーたちが並ぶ。
1980年代から90年代初頭、当時フジテレビでF1実況を担当していた古舘伊知郎氏から「ベスト・オブ・セカンドドライバー」とも呼ばれていたのが、リカルド・パトレーゼだ。ブラバム時代の1983年にはネルソン・ピケ、ウィリアムズ時代の1992年にはナイジェル・マンセルのチームメイトとしてチャンピオン獲得に貢献したことで、チャンピオンの良き相棒、というイメージがついて回る。
だが、1991年にはこの年のチャンピオン争いを繰り広げたセナとマンセルを度々食う活躍を見せるなど、印象的な走りも見せてドライバーズランキング3位に食い込み、セナの独走を阻んでいったほか、翌1992年もマンセルに次ぐランキング2位に入っていることからも分かるように、彼自身も速さや強さを度々見せつけていた。
1993年にシューマッハのチームメイトとしてベネトンで過ごしたのを最後に引退。通算256戦出走は、当時の歴代最多記録だった。今でこそベテラン選手が軽々と到達する200戦以上の出走は彼がF1史上初めてだった、ということもあり、古舘氏は中継のなかで「二百戦錬磨の男」と彼を形容したこともあった。
参考動画:パトレーゼとゲルハルト・ベルガー。セカンドドライバー同士が絡んだクラッシュ
ルーベンス・バリチェロは前回のコラムでも伝えたようなフェラーリ時代を過ごしたあと、2006年に当時のホンダへと移籍。若きエースだったジェンソン・バトンの相方となった。ホンダの撤退とその後に行なわれたチーム買収によって「ブラウンGP」となった2009年もチームに残留し、バトンがドライバーズチャンピオンとなった一方でバリチェロも活躍を見せていく。
とくに、チャンピオン争いの渦中にあったバトンが、レッドブル勢の猛追を受けた後半戦で2勝を挙げるなど、貴重なポイントを持ち帰り続け、この年のコンストラクターズチャンピオン獲得に貢献している。バリチェロはキャリア通算322戦を走ったが、これは2020年にキミ・ライコネンが抜くまで、F1の最多出走記録として長らく刻まれていた。
そして2010年にはウィリアムズへ移籍。この年F1へ復帰したシューマッハとバトルを演じるシーンもあったのだが、この年のハンガリーGPではバリチェロが抜き去る際にシューマッハが大きく幅寄せをするシーンが発生。改めて2人がただならぬ関係であることが垣間見えた瞬間でもあった。
参考動画:問題となった、シューマッハによるバリチェロへの幅寄せ
そのバリチェロ、レーシングドライバーとしてはいまだに現役であり続けている。先日行われたブラジルの国内選手権「ストックカー・ブラジル」で50歳にしてチャンピオンを獲得している。
バリチェロと入れ替わるように、2006年にフェラーリ入りしたのがフェリペ・マッサだった。彼にも、セカンドドライバーとしての印象を強めた出来事がいくつかある。
シューマッハのフェラーリ時代最後のチームメイトを務めたほか、翌2007年にはキミ・ライコネンのチャンピオン獲得にも貢献。そして2010年以降はフェルナンド・アロンソとの関係性が度々取り沙汰された。
2010年のドイツGPで序盤から快走を見せていたマッサに、チームから「Fernando is faster than you.(アロンソは君より速い)」と無線が飛ぶ。さらには「Can you confirm this you understood that message?(この言葉の意味が分かるな?)」と念押しするように伝えられ、そこからマッサはアロンソにポジションを譲る。
当時禁止されていたチームオーダーを行なったとして、フェラーリに10万ドルの罰金が下されただけでなく、これを契機に翌年以降にチームオーダーに対する議論が再び起き、結果として翌2011年からの「再解禁」に至るなど、やや大きなインパクトとともに語られることが多い。
参考動画:実は「Faster than you」はこの年のオーストラリアGPでも起きていた
セバスチャン・ベッテルがレッドブルで圧倒的なパワーを誇っていた時代、チームメイトとして度々争っていたのが、マーク・ウェバーだった。2007年にレッドブルに移籍してきたウェバーも、当時のチームメイトだったデビッド・クルサードとともに中団争いの一翼…という状況だったのだが、2009年、当時の新規定マシンでレッドブルが快走を見せるようになると、彼もトップコンテンダーのひとりとして君臨するようになる。
この年の中国GPでベッテルがレッドブルチームの初優勝を飾った際には2位に入り、1-2フィニッシュを達成。彼もただ者では無い、という印象を与えることになる。
ただ、その後ベッテルが圧倒的な速さを発揮する一方で、ウェバーは次第に脇役に回ることが増え始める。2010年から4年連続でベッテルがチャンピオンを獲得したかたわら、ウェバーは3度のランキング3位が最高位にとどまる。
2013年のマレーシアGP、チームオーダーを無視したベッテルが、ウェバーを抜き去って優勝。表彰式を前にした控え室で、ウェバーが「Multi Twenty-one(21)」という言葉を使い、「ウェバーが前、ベッテルが後ろ」というチームオーダーが守られていなかったと、怒りを露わにしたのだ。
この年を最後にウェバーはF1を引退。耐久レースの「WEC」へ戦いの場を移すこととなり、やや後味の悪い幕切れとなってしまった。
チームメイトのために。アシストに回ったシューマッハとライコネン
何かと優先されることが多いファーストドライバーたちだが、シーズンのなかで不振や離脱を経験し、チャンピオン争いは望めない…というシーズンもある。しかし、そんな状況でもチームメイトがチャンピオンに手をかけようとしている、という状況は発生しうるもの。そんなときには、彼らがチームのサポート役に回ることがある。
前回のコラムで「エースぶり」を紹介したミハエル・シューマッハもそのひとり。1999年、イギリスGPでクラッシュした際に右脚を骨折して欠場に追い込まれるのだが、この間、チームメイトのエディ・アーバインがチームの全面サポートを受けてチャンピオン戦線を展開する。シューマッハの代走として参戦したミカ・サロも優勝争いのなかでアーバインにポジションを譲るなどよく援護し、残り2戦を残してミカ・ハッキネン(マクラーレン)とは2ポイント差に付けていた。
その状況で迎えたマレーシアGPからシューマッハは復帰。アーバインの優勝をアシストしつつ、ハッキネンの上位進出を阻むべく、ハッキネンをブロックしながらの「2位キープ」という荒業に出る。作戦は見事に成功し、このレースで優勝したアーバインが、一度はドライバーズランキングの逆転に成功する。
最終戦の日本GPでもこれが成功すれば…というところだったが、シューマッハがスタートに失敗し、逃げたハッキネンがそのまま優勝。シューマッハの「セカンドドライバー」転向はドライバーズチャンピオンの座を巡っては実を結ばなかったが、フェラーリはこの年、1983年以来16年ぶりとなるコンストラクターズチャンピオンの奪還に成功している。
もうひとつの例もフェラーリだ。2008年のフェラーリは前年度王者のキミ・ライコネンとマッサという布陣でレースに挑んだ。チームとしてはコンスタントに勝ち星を稼いでいくのだが、ライコネンは第4戦のスペインGPを最後に勝ち星から遠ざかり、逆に中盤戦からはマッサの方が好調に。マクラーレンの若手エース、ルイス・ハミルトンとのチャンピオン争いを過熱させるようになっていった。
第16戦の日本GPを終えた段階でチャンピオンの可能性が途絶えたライコネンは、ここからチームプレーに徹するように。続く中国GPではマッサを先行させてポイントを稼がせると、最終戦のブラジルGPではマッサが独走する一方、自身は堅実に3番手で走りきって表彰台を獲得。ドライバーズチャンピオンこそ、雨が降る最終盤の混戦を抜け出したハミルトンの手に渡ったが、コンストラクターズランキングでは2位のマクラーレンに大差を付けてチャンピオンを獲得した。
もし、ファイナルラップの最終セクションで、トヨタのティモ・グロックが目まぐるしい天気の変化に耐えて走りきれば、マッサのチャンピオン獲得…となるところだったが、ラインを外れてしまい、そこをハミルトンが抜き去っていく。最後の最後で、勝利の女神はハミルトンに味方した。
このシーズンを最後にフェラーリは2022年現在まで14年にわたってコンストラクターズチャンピオンから遠ざかっている。ときにはエースさえも黒子に回る…ということが、チームとしての結果につながることを示しているとも言えるし、逆にエースの手助けを受けても、セカンドドライバーはチャンピオンになれなかった…というシビアな見方も起きうる。
今シーズンの終盤戦で、レッドブルのフェルスタッペンはチームプレイヤーになることを拒んだような格好となった。今後も「自らがNo.1」を突き詰めていくのか、はたまたかつてのチャンピオンたちのように、キャリアのどこかで「チームプレイヤー」になる瞬間がやってくるのか。それは今後の彼の動向次第とも言えるし、そうした未来が訪れそうなとき、改めて話題になるかもしれない。
オフシーズンも随時コラム更新
スポーティングニュース日本語版では、オフシーズンもF1にまつわるコラムの更新を予定している。来シーズンに向けた話題や、過去のF1にまつわる雑学的なもの、F1初心者という方から、玄人の皆さんでも思わず頷くような内容まで幅広く取り扱う予定だ。ぜひオフシーズンの楽しみとしていただきたい。