現在はアルファロメオの実質的な運営母体として参戦を続けている、F1チームの「ザウバー」。その歴史をひも解くと、単なるチームの歴史が分かるだけでなく、このチームほど近代F1の成り立ちに欠かせない存在もないことも同時に伝わってくる。
1993年にF1へ参入して以来、今季で参戦から30周年を迎えるザウバーは、次世代のF1に対しても、名を残そうとさまざまな動きを見せている。今回のコラムではザウバーチームのこれまでとこれからを紹介していく。
F1初期は「メルセデスワークス」
ザウバーは、チーム創始者であるペーター・ザウバーが1970年に創業したレーシングチーム。1970年代後半からサーキットレースに登場し、当時はル・マン24時間耐久レースが主戦場だった。1980年代に入ると、当時隆盛を誇った「グループC」のオリジナルマシン製作に着手。そこで活動を続けるなか、1985年にはメルセデス・ベンツからの支援を取り付ける。
メルセデスとのタッグはグループCの世界にとどまらず、ついに1993年にF1へと進出。メルセデスの育成ドライバーだったカール・ヴェンドリンガーとミハエル・シューマッハのコンビを予定していたが、すでにF1デビューを果たしていたシューマッハをザウバーに呼び戻すことはかなわず、J.J.レートがそのシートへと座った。
開幕戦からレートが入賞するなど、参入したばかりのチームとしては上々の成績を残していったザウバー。だが、参入2年目となる1994年シーズンの終了後に、メルセデスが支援先をマクラーレンへと変更したことで、チームは一転して窮地に立たされる。
1995年シーズン、チームはフォードから最新エンジンの供給を受けることで手を打ったが、同時にチームはある企業からのスポンサーに活路を見出す。現在もF1で強烈な存在感を発揮する、あのレッドブルをメインスポンサーに取り付けたのだ。さらにその後はマレーシアの石油企業・ペトロナス(現在はメルセデスのメインスポンサー)の支援も得る。この2社はその後も長くザウバーのスポンサーを務め、チームの成長を支え続ける存在となったのだ。
1997年にフォードエンジンを失うと、今度はフェラーリからエンジンを手に入れる。かつてマクラーレン・ホンダでその腕を振るい、当時のフェラーリエンジンの開発に携わっていた後藤治を招くなど、ここからチームはフェラーリとの関係性を段々と強めていく。
同時に、若手ドライバーを積極的に起用し、「育成チーム」としての印象も根付いていった。その象徴となったのが、2001年にこのチームでF1デビューを果たしたキミ・ライコネンと、2002年デビューのフェリペ・マッサの存在だった。だが、単にフェラーリの育成チームとなるのではなく、ザウバーチームは自前での開発体制を構築し続けていく。
ワークスとプライベーターを行ったり来たり
2005年にチームはBMWに買収され、翌2006年シーズンから「BMWザウバー」として生まれ変わった。BMWのワークスチームとなったものの、車体開発などは依然としてザウバーが担当することに。ただ、パワフルなエンジンを手に入れたことと、若手ホープのひとりだったロバート・クビサのドライビングに引っ張られ、チームは2007年にコンストラクターズランキング2位という好成績を残し、翌年にはクビサの手で初優勝を果たすまでに成長する。
だが、2009年の車両規定変更へのマッチングに失敗し、さらにこのシーズン限りでBMWもF1から撤退。チームの株式はペーター・ザウバーのもとに戻り、さらにフェラーリからのエンジン供給を受け直し、2010年シーズンを「BMWザウバー・フェラーリ」という奇妙なネーミングで戦うことになる。これはチームの財政圧迫を少しでも避けるべく、F1運営サイドから支払われる分配金を確実に受け取る意図があったと伝えられていて、2011年には改めてザウバーにエントリーネームが戻った。
この時期のチームは、日本のF1ファンにとってはセンセーショナルな印象を残した。その立役者となったのが小林可夢偉だった。当時のトヨタがF1を撤退したこともあってキャリアが危ぶまれながら、ザウバーに拾われるかたちで加入。在籍3シーズンのあいだにいくつもの好走を見せて、2012年の日本GPでは3位に入ってついに表彰台を獲得する。鈴鹿サーキットを「可夢偉コール」が包んだ瞬間でもあった。
この年はさらにセルジオ・ペレスの活躍もあって、中堅チームとして確固たる地位を築き上げていたかに見えた。また、このころに長年チームを率いたペーターが勇退。F1史上初の女性チーム代表であるモニシャ・カルテンボーンがチームを引き継いだ。
だが、直後にペレスがマクラーレンへ引き抜かれると、彼のスポンサーでもあったメキシコ企業からの支援が大幅に縮小となる。財政難から同時に可夢偉も放出せざるを得ず、チームは一気に下位へと逆戻り。その後は持参金を持ち込むドライバーたちが頼みの綱となるのが常態化してしまう。それに頼るあまり、2つしかないシートに対して何人ものドライバーと契約を結んでしまい、参戦できなかったドライバーから訴訟を起こされ、チームが多額の賠償を背負う事態にまで発展した。
その状況を救ったのが、2017年のシーズン途中にチーム代表となったフレデリック・バスールだった。バスールは長年のパワーユニットサプライヤーだったフェラーリとの関係強化に本腰を入れ、同時にカルテンボーンが進めていたホンダとの将来的な提携を白紙に戻した(余談ではあるが、これがホンダとレッドブル陣営との提携の引き金にもなった)。さらにフェラーリと関係が深い自動車メーカー・フィアットと同系列のアルファロメオからのスポンサーも取り付け、2019年からはチーム名そのものを「アルファロメオ・レーシング」と改めた(いわゆるネーミングライツ契約によるもの)。
こうした経済的な安定を得て、チームは若手育成というスタンスに回帰した。シャルル・ルクレールやアントニオ・ジョビナッツィなど、フェラーリ期待の若手がマシンを走らせたほか、2022年シーズンには周冠宇が中国人初のF1ドライバーとしてデビュー。さらに経験豊富なベテランたちの起用も可能となり、ライコネン(2019年にチームへ復帰。引退まで3シーズンを過ごす)やバルテリ・ボッタスが若手たちのよきパートナーとなっている。ただ、そのアルファロメオとの関係も今季をもって終了するため、ドライバーたちの去就も注目されるところだ。
新たなパートナーを得て
2026年に、F1は新たな車両規則でのレースが行なわれるとされ、ザウバーはドイツの自動車メーカー・アウディのワークスチームになるとしている。それに先立ちチームはつい先日、アウディによる資本参加を発表した。
手を替え品を替え、ときには提携先を替え…。F1チームが栄枯盛衰、あるいは参入と退出を繰り返すなか、30年という歴史を刻み続けていることは、改めて特筆すべきことだろう。自動車メーカーとの橋渡しをいくつも成し遂げてきたザウバーチーム。将来においても、そのインパクトが消えることはないだろう。
オフシーズンも随時コラム更新
スポーティングニュース日本語版では、オフシーズンもF1にまつわるコラムの更新を予定している。来シーズンに向けた話題や、過去のF1にまつわる雑学的なもの、F1初心者という方から、玄人の皆さんでも思わず頷くような内容まで幅広く取り扱う予定だ。ぜひオフシーズンの楽しみとしていただきたい。