昨年12月16日、井上尚弥 vs. マーロン・タパレスの前座として行われた日本バンタム級タイトルマッチ直後から意識不明となり治療中だった穴口一輝が、2月2日午後5時38分に亡くなった。
名門『The Ring』誌(リングマガジン)の元編集人で、現本誌格闘技部門副編集長のトム・グレイが、約28年前に英国で起きた同様の悲劇と重ねつつ、ボクシングにすべてを捧げた故人を追悼する。
2月2日、ショックが続く日に届いた日本からの悲痛なニュース
2月2日、WBC世界ヘビー級王者タイソン・フューリーがスパーリング中に右目上を深くカット(裂傷)したことで、2月17日のWBAスーパー/IBF/WBO同級王者オレクサンドル・ウシクとのスーパーファイトが延期されたというニュースが流れたとき、ほかのボクシング関係者同様に、私もその衝撃にノックアウトされていました。
試合の規模(グレード、期待値)が大きければ大きいほど、中止に対する失望も大きくなる。そして、現在において、ほぼ四半世紀ぶり(主要三団体時代以来)のヘビー級アンディスピューテッドタイトルマッチよりも大きな試合はほとんどありません。
さらに、私のSNSタイムラインは #FuryUsyk コンテンツで爆発的に増える中、『ロッキー』シリーズのアポロ・クリード役で知られるハリウッド映画スター、カール・ウェザース氏が76歳で亡くなったという悲しいニュースもあったため、私は別の悲痛な発表を見逃していました。
それは同じく金曜日(2月2日)、日本のバンタム級ランカーの穴口一輝が、昨年12月26日、同級日本王者の堤聖也との試合で負った右硬膜下血腫により亡くなったという訃報でした。
23歳の彼は、有明アリーナでの日本バンタム級タイトルマッチ(兼モンスタートーナメント決勝)で、10ラウンド全会一致の判定負けを喫するまでに、4度のダウンを奪われました。試合が終わると、両選手はリング中央で優しい言葉を掛け合い、ハグを交わしたのでした。
しかし、それぞれのコーナーに向かうと、穴口はよろめき、膝をつき始めたのでした。それが最初の警告サインでしたが、その後、事態は悪化しました。穴口陣営のメンバーが彼を支えようとしたものの、穴口はけいれんを起こしていました。若いファイターの足は無意識に曲げたり伸ばしたりをし始め、何かがひどくまずい状況にあることは明らかでした。
私は約6000マイル離れたスコットランドから配信を通して固唾をのんで見守っていましたが、背筋が寒くなりました。
28年前の身近で起きた忘れられないリング禍
そして、私の記憶は1995年10月13日、(英国)グラスゴーでジェームズ・マレーが同じスコットランド人のドリュー・ドチャティと対戦した、BBBofC(英国ボクシング管理委員会)英国バンタム級タイトルマッチで致命傷を負ったときのことをフラッシュバックしました。
マレーの試合後の症状は、穴口が苦しんでいた症状とほぼ同じでした(当時の英国メディアは「脳損傷」と報じている)。弱冠25歳のマレーは、最終ラウンドでKOされ、2日後に亡くなりました。
当時の私はマレーが住んでいた場所から5マイルも離れていないアマチュアボクシングクラブでトレーニングしていましたが、彼はそこで尊敬されていました。クラブは敬意を表して数日間閉鎖され、再開時の雰囲気は最悪だったことを覚えています。
マレーの死は私にとって決して忘れられない出来事であり(※1、※2)、ボクサーが重傷を負ったり、さらにひどい怪我を負ったりするたびに、その辛い記憶が押し寄せてきます。
その記憶が、私が対戦相手を「殺す」と平然と口にするファイターを嫌悪する理由のひとつになっています。
ボクシングのリングでの死亡事故は、ひとりのファイターの人生を終わらせる以上のものである。ファイターの家族たちは以前と同じようには過ごせなくなるでしょう。レフェリーやコーナーチームは自分たちの選択にこれからずっと疑問を持ち続けることになるかもしれない。ダメージを与えた側のファイターは、想像を絶するレベルの罪悪感を抱くことになる。
すべてを捧げた穴口一輝
穴口(6勝1敗2KO)は将来に胸を躍らせながら、日本バンタム級タイトルを賭けた人生最大の一戦に臨みました。彼は井上尚弥とマーロン・タパレスの4団体王座統一戦の前座に登場し、世界中でそのショーを披露しました。それは若き将来有望な選手にとって夢のようなシナリオでした。
日本の多くのファイターはその勇敢さで有名です。穴口は何度倒れても立ち上がるつもりだったのでしょう。あのとき、彼の命を奪った怪我は彼の命を吸い取る中、それでも彼はリングで打ち返し続けた。ほとんどの人には理解できないレベルの勇気です。
12月30日のJBC発表によると、穴口は試合後に右硬膜下血腫の診断を受け、緊急開頭手術を行っていました。意識不明のまま一般病棟に移ってから1か月以上戦い続けたものの、受けたダメージはあまりにも大きかった。彼は妻と1歳の娘を残してこの世を去りました。
ボクシング界のニュースは今、不運なフューリー vs. ウシク戦が見出しの大半を占めるが、ボクシングに携わる者なら誰しも「穴口一輝」を覚えておくべきでしょう。彼は自分のすべてを捧げたのだから。
トム・グレイ
※本記事は国際版記事を翻訳し、日本向けの情報を加えた編集記事となる。翻訳・編集:スポーティングニュース日本版編集部 神宮泰暁
※編注1:マレーのリング禍は英国ボクシング界にとっても大きな転換点となっている。マレーの事故を機に、ボクシングに対するバッシングが過熱したこともあり、英国ではボクシングライセンス発行時、また更新時にMRI/MRA検査を義務付けるようになる。しかし、英紙『Indipendent』によると英国内の80%のジムや選手が高額なMRI検査を受けることが困難だった。マレーの事故の1年半前にも同様のケースで24歳のブラッドリー・ストーンが試合2日後に亡くなっていたが、この試合の興行主だったフランク・ウォーレン氏(現在はタイソン・フューリーらのプロモーター)は、MRI検査義務化にあわせ、彼らを追悼すると同時に「マレー・ストーン基金」を設立。基金によって英国におけるボクサーすべてのMRI検査の資金援助を行った。
※編注2:2020年にBBCでマレーのリング禍とその後を伝えるドキュメンタリー映像『Fight: The Jim Murray Story』が制作されている。マレーの兄弟、家族、友人、そしてフランク・ウォーレンや業界の大物たちや記者たちが、当時25年過ぎても癒えないこの悲劇について振り返っているが、MRI検査義務化に至ったにもかかわらず、マレーの死後、英国では4件のリング禍が起きていることを指摘している。