キャリア最高の勝利:タイソン・フューリーがデオンテイ・ワイルダーとの第3戦について語る

2022-12-15
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The Sporting News Illustration

名だたるボクサー自身の会心の勝利とは如何なるものなのか。スポーティングニュースはシリーズ連載「キャリア最高の勝利」で、そんな貴重な話を当人に深掘りしていく。

今回は、WBC王者としてヘビー級戦線を牽引するタイソン・フューリーに、キャリア最高のベストバウトといえるデオンテイ・ワイルダーとのトリロジー決着戦について聞いた。英国で取材を行う本誌ボクシング部門副編集長トム・グレイ(Tom Gray)が伝える。

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スポーティングニュースのシリーズ連載「キャリア最高の勝利(My Sweetest Victory)」へ、ようこそ。現役または伝説となったボクサーたちが自らのキャリアを振り返り、自身にとって最高の勝利を得た試合について語てもらうことで、実際に戦ったものにしか分からない秘密が明らかにされます。タイソン・フューリーにとっての「最大の勝利」をフューリー選手自身に語ってもらった。

対戦相手:デオンテイ・ワイルダー

日時、会場:2021年10月9日、ラスベガス、T-モバイル・アリーナ

規定ラウンド:12ラウンド

世界タイトル:WBC及び『The Ring』誌ヘビー級(当時のチャンピオンはフューリー)

戦績:フューリー(30勝0敗1分け、21KO)、ワイルダー(42勝1敗1分け、41KO)

結果:フューリーが11回KOで勝利

ストーリー:フューリーとワイルダーが最初に対戦したのは2018年12月1日、ロサンゼルスにおいてであった。英国出身のフューリーはカムバックしてから2戦しかしておらず、当時無敗のWBCヘビー級王者だったワイルダーに挑戦するのは時期尚早だと誰もが感じていた。その予想は間違っていた。フューリーは目覚ましいパフォーマンスを発揮し、アウトボクシングでワイルダーに対抗した。最終12ラウンド目にフューリーは痛烈なダウンを奪われたが、それでも立ち上がった。判定は引き分けとなり、物議を醸した。

20か月後、フューリーとワイルダーはラスベガスでWBC及び『The Ring』誌のタイトルをかけて再戦した。この試合は前回とはまったく違う展開を見せた。フューリーは前進し、ワイルダーを後退させた。そして2回のダウンを奪ったあと、第7ラウンドで衝撃的なTKO勝ちを収めたのだ。

誰もがこれで両者の決着はついたと考えたが、それも間違っていた。

両者は第3戦を戦うことが運命づけられていたのだ。この試合の契約が成立したときには数多くの中傷があった。なぜならボクシングファンのほとんどが、ともに英国出身で無敗のチャンピオン同士となるフューリー vs. アンソニー・ジョシュアの実現を願っていたからだ。

しかし、フューリーとワイルダーの第3戦が終わると、不満の声は消え失せた。

「ワイルダーとの第3戦は私にとって最大かつ最良の戦いだった。困難なことは多かったし、それを乗り越えられない可能性もあった。あの試合で私は最高のパフォーマンスを発揮することができた。忍耐も決意もそして戦う能力においても」とフューリーはスポーティングニュースに語った。

フューリー vs. ワイルダー第3戦は、のちに『The Ring』誌の年間最高試合に選出された。その栄光にもかかわらず、ジプシー・キングの異名で呼ばれ、そして6人の子どもの父親であるフューリーは、キャリア最大の勝利が実はリングの外にあったと告白した。

「私にとって最大の勝利とは100%、メンタルヘルスとの戦いだった。最大の戦いであり、最大の困難であり、最強の相手だった」とフューリーは話した。

「私はヘビー級ボクサーとの戦いについては熟知している。相手が何をしてくるかも分かる。しかし、精神そして感情に潜む目に見えない敵から生き延びたことが、私にとって最大の勝利だ。私は体重を60kgも落とし、そこから這い上がってきた。それこそが私がこれまでになし得た最も偉大な達成なのだ」

フューリーはメンタルヘルスについて繰り返し発言し、同じ問題に苦しむ数多くの人を励ましてきた。

スポーティングニュースは、デレック・チゾラ戦(12月3日、トッテナム・ホットスパー・スタジアム)を直前に控えていたフューリー氏とのインタビューに成功した。WBC世界ヘビー級王座の防衛に成功したチャンピオンが語るキャリア最高の勝利とは──

ワイルダー対フューリー第3戦はなぜ実現できたのですか

「ワイルダーとの第2戦のあと、知っての通り、新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。そのせいで私たちは22か月も待たなくてはいけなかった。その22か月の間、サウジアラビアでジョシュアとヘビー級(4団体)統一王座戦を行う話があった。その契約は合意に達していた。しかし、突然ワイルダーが(再戦条項を強制する)訴訟をアメリカで起こして、私はその調停に出席せざるを得なくなり、そして裁定で敗れた」

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「ワイルダーは第3戦を行う権利を勝ち取った。契約期限は過ぎていたにもかかわらずだ。新型コロナウイルスは自然災害だという理由だ。彼が何かをしたというわけではない。そのせいで、ジョシュアとの統一戦ではなく、ワイルダーとの第3戦を行うことになった。私は不満だったよ。しかし、ときには選びようのないこともある。やるしかなかったのさ」

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デオンテイ・ワイルダー戦を前にどのような準備とスパーリングをしましたか

「トレーニングキャンプに入ったと思ったら、(陣営内で)新型コロナウイルスの集団感染が起きて、(2021年7月24日に予定されていた)試合は延期となった。私は妻のパリスと赤ちゃんを連れてアメリカから戻った。するとその赤ちゃんが重い病気に罹ってしまった。そのためにトレーニングキャンプを2、3週間くらい短縮するしかなかった」

「私がこの試合のためにこなせたトレーニングは4週間しかなかった。あれは本当にひどいキャンプだったな。赤ちゃんが死ぬかもしれなかった、そのたった2週間後に、ヘビー級タイトル防衛戦にむけてのトレーニングをしていたのだから。良いキャンプをするよりも、精神的に立ち直ることがすべてだった」

「スパーリング・パートナーはエフェ・アジャグバだった。ナイジェリア人でオリンピックの銅メダリストだよ。身長2メートル、体重109キロだ。アメリカ人のジャレッド・アンダーソンもいた。イギリスではジョージ・フォックス、ジョーダン・トンプソン、デビッド・アデレードがいた。しかし、デオンテイ・ワイルダーとまったく同じ練習相手はいない。タイソン・フューリーとまったく同じ練習相手はいないようにね。スパーリングのラウンドを重ねて、キャンプをしても、結局は精神的な状態がすべてだ。キャンプのおかげで試合に勝つわけじゃない。その夜の精神状態が勝敗を決めるのさ」

デオンテイ・ワイルダー戦にはどのような戦略で臨みましたか

「長いキャンプを張ることはできなかった。だから最終ラウンドまで戦うことは考えていなかった。いつものようにノックアウトで決めるつもりだった。私にはワイルダーを倒せるとただ信じていたよ。セコンドに何を言われようと、そのアドバイスは耳から耳へと抜けていったな。(トレーナーの)シュガー(ヒル・スチュワード)は距離をとってジャブを打てって言っていたけど、私は『長く戦うことはできない。スタミナが持たない。倒すしかない』って考えていた」

デオンテイ・ワイルダー戦は作戦通りにいきましたか

「いつも通りのワイルダーだったよ。体はよく絞れているし、タフだし、精神的にも強い。けっしてあきらめないファイターだ。ワイルダーのようなボクサーは2回くらいダウンを奪っても、頭を振って立ち上がってくる。最後の最後まであきらめない」

「私は踏み込んで、そして強打で粉々にしてやるしかなかった。難しいことはよく分かっていた。私の方がやられるかもしれなかった。しかし、その怖さに打ち克とうとした。それは上手く行ったよ。あれほどのファイトは誰も予想していなかったと思うよ」

デオンテイ・ワイルダーの何に驚きましたか

「4ラウンド目(フューリーは2回のダウンを喫した)だね。何が起こったのさえ分からなかった。きっと自分から強いパンチを食らいに行ってしまったのだろうけど」

「第1戦の12ラウンド目でワイルダーに打たれたときは、かえって私にスイッチが入った。だから立ち上がることができた。第3戦で2回ダウンしたときは、ただフラフラになってキャンバスに倒れてしまった。あのときに体重を増やしていた(125.6キロ)ことが幸いしたのかもしれないけど、それでもスイッチが入ることはなかった。奇妙な気持ちだったよ。自分に言い聞かせたよ『打たれただけだ。立て!』とね。完全にやられたとは思わなかった。ワイルダーに打たれたとき、『ほう、なかなかやるじゃないか』と言ってやったのさ」

「ワイルダーと戦うときはいつもこう思うのさ。『やられた分はしっかりやり返してやるぞ』とね。そして私は耐えることができる。私の方が大きい体を持っているからだ。125kg以上、身長206cmだよ。私は打たれ強いのさ。いくらパンチを食っても、前に進める自信がある。」

デオンテイ・ワイルダーをノックアウトしたときのことを詳しく話して下さい

「ワイルダーのボディに強いパンチを何発も打ち込んだ。本当にきついパンチだよ。ワイルダーは耐えた。公平に言って、すごいことだよ。だけどあのようなファイトではダメージは大きい」

「10ラウンド目にはワイルダーが弱ってきていることを感じていた。11ラウンド目は完全に私が支配していたね。何でもできた。どんなポジションもとれたし、どんなパンチも当てることができた。もう時間の問題だと分かっていた。彼は疲れ果てていたし、あまりにも多くのパンチを食らい過ぎていたからだ。大振りなフックを放っても、もう防御もできないようだった。私が全力で肩から振り回す右フックに耐えることは誰にもできない。」

「フィニッシュは左フックと右フックの連続パンチだった。ワイルダーが床に倒れ落ちる前から気絶していたのを覚えているよ。だから彼がダウンしたときは、もう彼を見ることもしなかった。ただ反対側のコーナーに走ったよ。試合が終わったことは分かっていた。他のときなら、立ち上がってくるかもしれないと考えただろう。でもこのときだけは、彼が立ち上がることは絶対にない、試合は終わったと思った」

「ワイルダーは非常に強いパンチ力を持ったボクサーだ。ダウンから立ち上がって戦い続けることができるのはそれとは少し異なる才能だ。私はレンガのようにタフで、アナグマのように狡猾だ。激しい打ち合いになったときに私に敵うボクサーはいない。遅かれ早かれ、私は誰であってもノックアウトしてしまうからだ」

デオンテイ・ワイルダーに勝った後はどのような気分でしたか

「自分にこう言い聞かせたよ。『今度こそ、これで終わりだ』とね。ワイルダーとの第3戦の前、私は妻のパリスと自宅にいた。彼女にこう言ったよ。『これが最後だよ、もうこれ以上君に心配はかけない』とね。彼女は『なんて嬉しいこと!』と言っていたな」

「試合が終わった後、シャワーを浴びているとき、私の体は痣だらけだった。それなのに何も覚えていなかった。ダウンしたことも覚えていなかったし、何をしていたのかも覚えていなかった。とても混乱したよ。『これで終わりだ。もうこんなことはできない。時間の問題で、そのうちに脳のダメージがひどくなる』と私は口走った」

「しかし、1週間か2週間か経つと、『もう一度戦いたい。イギリスに戻らなくてはいけない。母国でもう一度試合がしたい』と思うようになっていた。もう4年も母国で試合をしていなかったからね。そしてロンドンのウェンブリー・スタジアムでディリアン・ホワイトと試合をすることが決まった。そのときもこう言った『勝とうが、負けようが、引き分けであっても、これが最後だ』とね」

「だけど、どうやら最後はまだ来ないみたいだ。いつも、いつも、もう一度の機会がある。私の幸運がいつまで続くかは分からない。私があとどれだけ戦えるかも分からない。ただ毎日を一生懸命に生きるだけだよ。私は人生を楽しんでいる。トレーニングキャンプもキャリアを積み上げることも楽しんでいる。最後の最後までやり切ったときに、初めて自分がやってきたことを理解できるのだと人はよく言うね。アスリートは特にそうだ。サッカー選手も、ボクサーも、現役最後の数年になってから初めて自分自身を見つめるようになるのさ」

原文: Tyson Fury explains why memorable Deontay Wilder trilogy fight ranks highest as 'My Sweetest Victory'
翻訳:角谷剛
編集:スポーティングニュース日本版編集部

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