多くのスポーツ選手にとって、キャリアのなかで会心の勝利というものがあるだろう。スポーティングニュースでは「キャリア最高の勝利」と題したシリーズ連載をスタートする。
晴れある第一弾となるのは、マイク・タイソン最大のライバルだった、イベンダー・ホリフィールドだ。本誌はそんなホリフィールド氏のインタビューに成功。トム・グレイ(Tom Gray)記者が伝える。
マイク・タイソン最大のライバルだった男のキャリア最高の勝利とは
スポーティングニュースの新シリーズ「キャリア最高の勝利(My Sweetest Victory)」へ、ようこそ。現役または伝説となったボクサーたちが自らのキャリアを振り返り、自身にとって最高の勝利を得た試合について語ります。実際に戦ったものにしか分からない秘密が明らかにされます。イベンダー・ホリフィールドにとっての「最大の勝利」をホリフィールド氏自身によって語ってもらった。
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対戦相手:マイク・タイソン
日時、会場:1996年11月9日、ラスベガス、MGMグランド
規定ラウンド:12ラウンド
世界タイトル:WBAヘビー級(当時のチャンピオンはタイソン)
戦績:ホリフィールド(32勝3敗、23KO)、タイソン(45勝1敗、39KO)
当時のオッズ:タイソンが1/25で有利とされたが、試合開始時には1/9まで下がった
結果:ホリフィールドが11回TKOで勝利
ストーリー:マイク・タイソン vs. イベンダー・ホリフィールドは実現するまで10年近くも待たされた大試合だった。
これはボクシング界の「比類なき王者(Undisputed Champion)」の定義が、現在の4団体統一王者ではなく、WBA、WBC、IBFの3団体統一王者だった時代のストーリーだ。
ホリフィールドは1988年4月9日、カルロス・デ・レオンに8ラウンドTKO勝ちし、保持していたWBA、IBF王座に加え、WBCタイトルも手中にしてクルーザー級の3団体統一王者となった。当時ヘビー級の3団体統一王者だったタイソンは体重が軽いホリフィールドがヘビー級に転向する可能性について尋ねられた。
慎重に言葉を選んだタイソンは「ホリフィールドは良いファイターだよ」と微笑みを浮かべながら、米TV局『SHOWTIME』の取材に対して語った。
その後、1990年2月11日、タイソンがバスター・ダグラスに衝撃的な番狂わせで敗れたとき、無敗のホリフィールドはすでにヘビー級でも5勝を積み上げていた。その対戦相手たちはジェームズ・ティリス (5回TKO)、ピンクロン・トーマス(7回TKO)、マイケル・ドークス(10回TKO)、アディルソン・ロドリゲス (2回KO )、そしてアレックス・スチュワート (8回TKO)である。
もしタイソンがダグラスに勝っていれば、長く待ち望まれていたタイソン vs. ホリフィールド戦は1990年秋に実現するはずだった。ダグラスがベルトを獲得したことで次の挑戦者となったホリフィールドは、このチャンスを見逃さなかった。1990年10月25日、研ぎ澄まされた体でリングに登場したホリフィールドは3回にダグラスを1パンチで仕留め、ヘビー級3団体統一王者となった。クルーザー級王者からヘビー級に転向したボクサーとしては史上初の快挙だった。
しかし、ダグラスを打ち負かした試合が大きな話題になることはなかった。世間のほとんどはタイソンを真のチャンピオンだと考えていたからだ。
ホリフィールドが2人の伝説的なベテランボクサーであるジョージ・フォアマン(12回判定)とラリー・ホームズ(12回判定)の挑戦を退けたあと、いよいよタイソン vs. ホリフィールド戦の日程が1991年11月8日に決定された。しかし、タイソンが肋骨を故障し、さらに強姦罪で有罪となり刑務所に収監されたため、この対戦はけっして実現しない夢物語になったと思われた。
タイソンがリングから遠ざかっていた時期、ホリフィールドのキャリアも浮き沈みを繰り返した。リディック・ボウから初敗北(12回判定)を喫し、再戦では判定で王座を奪回した。しかし、マイケル・モーラーに判定負けした後に、心臓病と診断されたホリフィールドはいったん引退を発表した。その後に復帰はしたものの、コンディションは悪く、ボウとの第3戦ではノックアウト負け(8回TKO)を喫してしまった。
その間、刑務所から出所したタイソンはヘビー級タイトルを2つ獲得し、この階級のボクサーたちを震え上がらせていた。そこに「全盛期を過ぎた」と見られていたイベンダー・ホリフィールドが立ち塞がった…。
スポーティングニュースは、最近、ホリフィールド氏とのインタビューに成功した。実現したタイソンとの待望の対決の舞台裏とは? そしてヘビー級王者に4度返り咲いた史上唯一のボクサーが語るキャリア最高の勝利とは?
タイソン対ホリフィールド戦はなぜ実現できたのですか
「皆がマイクに言っていただろうね。『イベンダーはもう落ち目だ。棺桶に片足を突っ込んでいる。今がチャンスだ!』とね。でも私には準備はできていたのさ」
「人々がホリフィールドの全盛期は過ぎたと言うのは聞こえていた。私は(リディック・)ボウに言ったことがある。『第3戦で私に勝った以上のことは何もないよ』とね。私は試合を止められたことはあれが初めてだった。もちろん腹立たしかったよ。それでも私は自分をコントロールして、感情を態度に出さないようにした」
マイク・タイソン戦を前にどのような準備とスパーリングをしましたか
「スパーリング相手はデビッド・トゥアだった。これには面白い話があってね。トゥアのチームがプロモーターのシェリー・フィンケルにこう言ったのさ。『トゥアがスパーリングでホリフィールドをボコボコにしている』ってね。私の甥がそれを教えてくれた。そこですぐにトゥアをリングに上げて、全力のスパーリングをした。すると彼らはトゥアを3ラウンドでリングから降ろす羽目になった。トレイナーのロニー・シールドがすぐにフィンケルに電話をかけていたよ。『イベンダーがトゥアを滅多打ちにしてしまった。トゥアはまったく歯が立たなかった』って言っていたな」
「トゥアは腕が短く、頭を下げて突進してくる。『何のこと』だか分かるだろう」
マイク・タイソン戦にはどのような戦略で臨みましたか
「まずマイクに私が何者かを思い知らせる必要があった。マイクとはアマチュア時代にスパーリングをしたことがあった。だからマイクは私が強いことをすでに知っていた。そしてそれを忘れることはできない。どうしてもその記憶からは逃れられないのさ」
「マイクは距離を詰めてくる相手には対応できない。下がる相手にしかパンチを当てることができないのだ。誰もがマイクから逃げようとするからね。そうした相手としか戦ったことがなかったのさ。だから私はつねに距離を詰めていこうとした。接近戦、接近戦、接近戦だ」
マイク・タイソン戦は作戦通りにいきましたか
「私はマイクに分からせてやるしかなかった。『お前には俺を打てない。俺がお前を打つ』とね。狩られるとはどのようなものかを分からせるってことさ」
マイク・タイソンの何に驚きましたか
「試合が始まってすぐにマイクの右パンチを食らった。そう来るだろうと思っていたから、驚きはしなかったけどね。私たちは先手を取る練習を繰り返した。最初のパンチは私が当てるつもりだったのさ。だけど逆にやられてしまった(笑い)。ただ自分に言い聞かせたよ。『大丈夫、勝負はこれからだ』とね」
「実際に驚いたことは何もなかったな。マイクのパンチは右も左も強力だけど、そのパワーは腕ではなく足から来るものなのさ。マイクはセッティングが必要だけど、私は動きながらパンチを逃すことができる。マイクは足を使って、その弾力をパンチに乗せる。私はだからマイクの足が止まった瞬間を捉えようとしていたのだ」
マイク・タイソンをTKOしたときのことを詳しく話して下さい
「10ラウンド目に大きなダメージを与えた。そのときで試合が終わっていてもよかったけど、もうマイクの足はフルフラだってことはよく分かっていた。11ラウンド目が始まるときにセコンドがマイクを立たせたけど、そこで今にも倒れそうだったよ」
「まるで酔っ払いを相手にするようなものだったよ。酔っ払いは体を支えるものがないだけで倒れてしまうだろう。
ボクシングで言えば、ロープから離れたらいいのさ。あとはリングの中央で戦えばいい。何も掴むものがないからね。相手が打ってこようとしたら、1インチ分近くに踏み込む。そうやってカウンターパンチを狙う。それは上手く行ったよ。まるで素手でパンチした時のような手応えがあった」
マイク・タイソンに勝ったあとはどのような気分でしたか
「私の家族のなかにもマイク・タイソンのファンがいて、マイクが私を負かすことを望んでいるものもいた」
「家に帰ると、彼らが『応援していたよ』と私に言ってきた。だから『お前が何を言ったかを聞いていたぞ』って教えてやった(笑い)。別に気にしなかったし、わだかまりもなかったよ」
「マイクに対して何も悪感情を持ったことはない。私はただ最高の自分になりたかっただけだ。なかには私たちの戦いをキリスト教徒とイスラム教徒の争いにすりかえようとする人もいた。イスラム教徒にキリスト教徒が負けてほしくないという理由で試合に反対する人までいた。私の考えでは、神は神だ。そして神とは善きものだ」
「私がマイクを嫌ったことは一度もないよ。(1997年6月28日の再戦時に)耳を噛まれたときだってね」
原文: My Sweetest Victory: Evander Holyfield reveals biggest secret to beating Mike Tyson
翻訳:角谷剛
編集:スポーティングニュース日本版編集部